小説 川崎サイト

 

村化け

川崎ゆきお


 村モードになっている組織がある。村には村の掟があり、一般常識がある。ただ、それはその村だけで通じる常識だ。そのため、多数の常識が存在することになるが、その場合の常識とは、村には固有の常識が存在するということが常識化される。村により常識が異なることが常識になっているのだ。郷に入れば郷に従え。そのことを昔の人は知っているので、そんな言葉が残ったのだろう。
 では普遍的なものは何処へ行ったのだろうか。村の秩序は滅多に変化しない。多少は緩むが。だから、変化しないといけないのは、村から村へ渡り歩いている人だ。この人達は巧みに変化する。ある村で常識が通じないことを、別の村に入ったとき、分かっているので、旅人が変化する。村は変化しない。
 しかし、その村も変化する時代が来る。そのときは村も変化する。変化しないと、その村が危なくなるためだ。好きこのんで変化するわけではない。秩序や掟を変えるわけではない。生き残るために変化するのだ。これは非常に説得力がある。もし、従来の組織でやっていけるものなら、変化は必要ではないのだ。
 相撲の立ち合いで、変化する力士がいる。正面からまともに当たらないで、体をかわす。横に動く。すると、相手力士は目標を失い、前のめりに倒れてしまう。相撲ではあまり褒められない手だ。評判は悪い。変化することで、一方的に勝負が終わる。そのため、せっかく見に来た観客は大相撲が見れない。小相撲となる。
 そう言うことで、変化を嫌うことがある。変化することを反則のような汚い手としてみる。ただ、小兵の力士が、勝つために、変わり身することがある。生き残るための変化なのだ。
 さて、村の話だが、村も都会化していくと、どの村も似たような村になる。都市と村との違いがはっきりしなくなる。グローバル化でフラットになるのだろうか。
 しかし、そんな時代でも、まだまだ村が多い。昔の村が消えていった反動で、思わぬところに村が発生する。まるで村を懐かしむように。
 亡びたはずの村があちらこちらで復活する。または、敢えて村落化していく組織もある。油断も隙もない。
 そして、一見普通の組織なのに、その実体は、そこだけでしか通用しない常識がまかり通っている。
 妖怪博士はそれを村化けと呼んでいる。
 
   了


2012年8月1日

小説 川崎サイト