小説 川崎サイト

 

ある舞台

川崎ゆきお


 いつも夕日を受けながら散歩に出る高島だが、今日は時間が早い。夕日どころか陽も差していない。つまり曇っている。時間帯を変えたのは特に理由はない。その前まではこの時間帯に出ていたのだ。ところが夏になってから、暑くて炎天下は無理だと分かり、日が沈む頃に出かけることにした。そのため、年中同じ時間帯に散歩に出ているわけではない。若干の違いがある。その違いは作為的だ。
 つまり、高島は日々同じ時間に同じことを実行することには、それほどこだわっていない。
 暑いので、出かけるのを控える。これは理にかなっているというより、自然とそうなるだろう。
 外に出た瞬間、非常に暑いと、その中を散歩する気にはなれない。それが是が非でもしなければいけないトレーニング風なものなら別だ。むしろ散歩は休憩なのだ。息抜きなのだ。だから、何処で抜いてもかまわない。息抜きをあたかもメインのように取り扱う方がおかしい。
 そして、その日は夏前のいつもの時間帯に散歩に出ることになった。暑くないので、出かけても大丈夫だと踏んだのだ。作戦変更、方針変更というような大げさなことではない。軸がぶれたとかの話でもない。
 それで、いつもより二時間ほどずれた時間帯に町に出た。風景は特に変わらない。昨日も見た風景のためだ。
 だが、いつも曲がる狭い道の角に、いつも見かける小さな白い犬を連れた老人の姿がない。それとは別に黒い大きな犬を連れた中年を男がいた。この中年男もたまに見かける顔だ。この近くに住んでいるのだろう。
 いつもの老人がいないのは、時間帯が違うためだろう。この老人も日が陰ってから出てくるのだ。今日はそれほど暑くはない。だから出てきてもよさそうなものだが、犬の都合もあるのだろう。散歩のメインは飼い主ではなく、犬かもしれない。まだ犬が催促しないに違いない。
 二時間ずらせただけで、行き交う人のメンバーが違っている。夏場以外は、この時間帯に高島も参加している。だから、ここは高島の時間なのだ。しかし、夏場出てこなかったので、何となく人の時間帯に入り込んだような気持ちになった。
 そこを行き交う人や、表に出ている人達は、その時間帯が本番で、その人達による劇が演じられている。時間が過ぎると、その人達はすっこむ。そして、同じ劇場の舞台に、別のメンバーが芝居を始める。当然夜になると、夜の興業が始まり、役者も演目も変わるのだろう。深夜興業になると、がらりと雰囲気が違う妙な芝居が始まるかもしれない。
 高島はいつもの道を歩いていているのだが、この僅かな変化が気になった。まるで自分が出演してはいけない舞台のように。
 
   了



2012年8月15日

小説 川崎サイト