小説 川崎サイト

 

一度見たシーン

川崎ゆきお


 上田はテレビで天気予報を見ていた。長期予報が発表されている。それを見ていると、ゾクッときた。この感じはたまにある。
 残暑は続くが、冬の訪れは平年より早い。それに関してなら、ゾクッとこない。その後、今日の空模様が写され、雨が近いことを知らせている。これだけでもゾクッとこない。だが、ゾクッときたのは、それを語っている人と、アナウンサーだ。これは以前見たことがあるのだ。天気を語っている人の髪の毛は、長くて後ろに垂らしているのだが、左側の髪の毛の束が胸にかかっている。男性アナがちょっと眼鏡をあげる。こういう放送を一度見たのだ。
 長期予報だけなら、似たようなものなので、一度見た、聞いたことがあるかもしれない。しかし、それを語っている二人の人物の髪型や仕草が同じになることはあり得ない。確率としては、なくはないが。
 上田は何か変な線に触れたのだろうか。
「これは一度見たことがある」と、途中で気付いてからは、意識してしまったのか、薄らいでしまった。もう重ならなくなった。天気予報が終わり、テレビが次の絵に切り替わるが、その絵は再現ではない。初めて見る映像だった。だから重なったのは一分以内だ。
 これで、テレビを消し、冷蔵庫から冷たい物を取りだしたとする。それも過去あったとすれば、本物だ。しかし、そこまで引っ張らなかった。
 一度見た、体験したことをまたやっている。同じシーンになっている。上田は過去を振り返ると、年に一度もない。数年に一度だろうか。年を重ねると、データーが増えるので、その頻度が増えるかと思ったのだが、逆に減っている。だから、それとは関係なく起こるのだろう。
 しかし、と上田は考えた。本当に過去、体験したのだろうかと。これは記憶は何処に仕舞われているのかの問題になる。荷物のように、またはファイルのように保存されていないかもしれない。
 古いフィルムが頭の中にストックされているのではなく、古い記憶はその都度作られるのではないかと。
 頭の中に3D動画作成エンジンが入っており、その都度作ると。
 だが、思い出そうとして思い出すのではなく、その気がないのに思いだしてしまうことがある。思い出をたぐるのではなく、いきなり出てくる絵だ。これは先回りして作っているのだろうか。
 上田は匂っていないのに、その匂いをいつでも再現させることが出来る。ただ、一種類のだけの匂いだが。それは、下駄の鼻緒が切れたときの臭い匂いだ。なぜだか臭い。これは子供の頃、下駄の鼻緒が切れたときの匂いだ。きっと自分の足の臭いだろう。鼻緒は布で出来ており、それが汚れていたのだろう。
 その後、下駄でも草履でもいいが、鼻緒が切れた状態を思い出すと、その匂いがくるようになった。想像しただけで匂いがくるのだ。
 下駄の鼻緒が切れても臭い匂いが来るとは限らない。しかし、上田の頭の中では、この匂いが必ず付いてくる。
 なぜそうなのかは分からないが、バッチファイルのように、自動連続してくるのだ。ただ、「匂いがする」で終わるので、それ以上のものではない。
 自分という固有の物語があり、自分とは関わりなく、それが行われているのではないかと考えたりする。この発想はそのまま運命論になるので、上田は否定的だ。自分の意志とは関わりなくお話しは既に出来ているのだから。
 そこからいろいろと想像できるのだが、こういうのを意識すればするほどおかしくなる。
 意識を意識しすぎると、かえっておかしくなるのだろう。
 
   了


2012年9月2日

小説 川崎サイト