小説 川崎サイト

 

平坦

川崎ゆきお


 今、売り出し中の人気若手作家のところへテレビ局の人が来た。ドキュメンタリー番組を作るためだ。
「今、すごいですねえ。人気が」
「そうですか。小説なんて読む人少ないですから、井の中の蛙ですよ」
「それはどういうことですか」
「狭い業界内だけの人気ですから」
「でも、結構本屋で見かけますよ」
「ああ、大きな出版社からなので」
「小説家として成功するまで、いろいろあったでしょ」
「特にないです」
「あなたの小説を何冊か読みましたが、深い闇を感じます。その闇はどこから出てくるのでしょう。何か過去にあっただと思いますが」
「ふつうですよ。特に怖い体験をしたわけじゃないです」
「挫折したことはありませんか」
「失敗は多いですよ。でもそれは挫折とまでは言えないと」
「何か、過去に大変なことがあり、それを乗り越えるため、小説を書いたとか」
「そんな大変な過去はありません」
「大失敗を成功に結びつけたとか」
「それはないです」
「あなたの小説を読んでいますと、人間関係の深い闇を感じます。これは体験しないと出てこないような……」
「想像です。よくある関係でしょ」
「非常に人間嫌いとか……」
「特に嫌いじゃないですよ」
「小さいとき、何かがあり、それがトラウマになっているとか」
「思いつきません。あっても、忘れているのでしょうね」
「成功の鍵は何ですか」
「さあ、よく分かりません。運が良かったのかもしれません」
「じゃ、それほど苦労しないで、成功したことになるのですが……」
「まだ新人ですから、成功したとは思っていませんよ」
「起伏が欲しいです」
「はあ?」
「あ、失礼」
「もういいですか。何の番組です」
「成功者を紹介していく番組です」
「そうなんですか」
「落ち込んでいたところから立ち上がるための、何かきっかけがあったとか……」
「別に落ち込んでいませんが」
「失礼、過去です。成功する前です」
「特に落ち込んだことはないですよ」
「平坦だ」
「はあ?」
「あ、失礼」
「これでいいですか」
「あ、失礼。どうもお忙しいところ、お邪魔しました」
「その番組に、出ないといけないですか」
「いえ、大丈夫です。お話を伺いに来ただけですから」
「じゃ、出なくていいのですね」
「はい」
 結局、彼のドキュメンタリーはなかった。
 
   了

 


2012年9月28日

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