小説 川崎サイト

亀田のカメラ

川崎ゆきお


 反動というのがある。反対側へ動くことだ。ただ、本人にとっては反対側であっても、世の中の人の多数は、それが普通の方向の場合がある。
 亀田はカメラで作画的な写真を写そうとしていた。亀田がカメラを始めたのは、亀田という名前からだ。それで、カメラに親しみを覚えた。当然、あの亀は子供の頃から飼っている。ここに亀田の単純な面があるのだが、今回は反動に出た。
 それは写真を写すときの露出に関することでだ。単純に言えば、明るい目の写真と暗い目の写真がある。露出を変えることで、何とでもなる。そして、亀田はいつも暗い目に写していた。これをアンダー気味の写真という。やや暗い場所は、真っ暗になる。その代わり、明るすぎて真っ白に飛んでいる箇所にタッチが付く。
 それで反動だが、暗い目ばかりを写していると、明るい目の写真も写したくなるのだ。
 最近の亀田の写真は極端に暗い。内容が暗いのではなく、露出が暗いのだ。風景を写しても、日陰は真っ黒に潰れている。さらに昼なのに、夜のように暗く写している。ここまで来ると極端すぎる。これも作画なのだが、作りすぎているのだ。それが最近気になり、一気に白っぽい写真に走った。
 振り幅が大きすぎたのは、振り子の勢いがありすぎたためだ。つまり、暗い目に振りすぎたので、その反動で、少し戻るのではなく、逆方法へ戻りすぎたのだ。これはワープしたかのように別の世界に入るようなものだ。
 長く暗い写真を写したので、その溜が効いているのか、明るい写真を写すのが非常に楽しい。
 そして、これもまた必要以上に明るくするため、また反動が起こり、暗い側は振り戻された。
 そのため、亀田の写真は分裂した。同じ人が写したとは思えないような写真になったのだ。タッチが揃っていない。
 明るい目と暗い目の写真を行き来していくうちに、これはもうどちらでもいいのではないかと、結論を得た。
 だから、作画意図を捨てた感じだ。
 その後、亀田は露出を弄らないことにした。カメラ任せで、カメラが判断するところの露出を受け入れた。
 その機械任せの露出を評価測光という。機械というか、センサーに組み込まれているプログラムが、自動的に判断する仕掛けだ。
 それで、露出に関しての振り幅はなくなった。実際にはあるのだが、亀田が作為的に変えたものではないので、作田の関わり知らないことである。だから、亀田の意志は反映されていない。
 ある日、亀田は写真教室の先生にそれを聞いてみた。
「標準ネガさえ写せば、あとは何とかなりますよ。だから、アンダーでもなく、ハイキーでもない標準ネガになるような露出にしなさい。あとは暗室で何とでもなります。デジカメなら修正ソフトで、明るさ暗さは何とでもなりますよ」
「作画意図に関してはどうですか」
「何を写すのかにより、それは決まります。そのものを一番効果的に表現できればいいんじゃないですか」
 ここで亀田は黙った。
 何を写すのかを決めていないし、分からなかったからだ。
 つまり、亀田は亀田という名前で、カメラに親しみを覚えただけのことで、特に写すようなものがなかったのだ。それで、やっと見つけたのが、被写体ではなく、露出などの演出方面だったのだ。演出だけが先を走っていたのだ。
 その後、亀田はカメラ任せのフルプログラムモードで、標準的な露出の写真を写し続けたが、面白くない。
 やはり、振り子時計や、ブランコのように、あの行ったり来たりしていた頃の方が楽しかった。
 解は見つけない方が、いいのかもしれない。
 
   了


2012年10月15日

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