小説 川崎サイト

悲しき妖怪

川崎ゆきお


「あれは妖怪ですよ。ヘンゲしまたよ」
 妖怪博士付きの編集者が、訪問後すぐに喋り出す。
「どうした。出たか」
「出ました」
「どんな妖怪かね」
「人ですがね。しかも二つか三つほど下の顔見知りです。町内の人です」
「じゃ、妖怪ではないじゃないか」
「先生は妖怪の発生に興味があるはずです。だから妖怪になりつつある人間の姿なんです」
 猿が人間になるところを見たような物言いいだ。
 編集者は詳細を語り始める。
「今日は午前中、さぼっていたんです。寝坊したので、体調が悪いと会社に伝え、午後から出ることにしたのです。ぎりぎりなら間に合うのですが、それもしんどいので、ばっさり午前中は捨てたのです。別に急ぐような仕事はないし」
「妖怪が出てくる気配はないが」
「すぐに出します。すぐに」
「早くしたまえ」
「よく晴れていましてね。天気がいい。すがすがしい。それで、散歩に出たのですよ。近所ですが。何せ午前中だけの散歩なので、遠出は無理です。だから、近場にしました。結局家の周りはうろうろしただけなんですがね」
「まだか」
「すぐです」
「うむ」
「町内の小道を歩いていますと、向こうに妙な男が立っています。ズボンから白いカッターシャツがはみ出しています。中に入れるべきなのを入れていないような。中途半端な。そして、腹がでっぷり出ています。飛び出していると言ってもよろしい。これでウエストの位置が分からなくなったのでしょう。下でも留められるし、上でも留められる。結果は下腹の下位置までずらしていました。ベルトの位置が腹の峠を越えたのです」
「出た出たとは腹が出た話か」
「違います。風貌を語っています。僕はリアリストですから。細かいところまで表現しないと話した気にならないのです」
「で、何が出た」
「話しかけてきたのです」
「同じ町内の人間じゃろ」
「そうなんですが、顔は知ってますが、話したことはありません。下級生ですからね。それに一緒に遊んだこともありません。少し離れた場所にいるので。だから、別グループなんです。その彼が、話してきたのです。これは今までなかったことです。そして、その内容がよく聞き取れない。なぜなら、かなり遠くから話しかけているからです。大きな声を出しているのでしょうが、何を言っているのか分からない」
「当分出そうにないのう」
「もう、出ています。彼です」
「ほう」
「ここまでの話では分からないと思いますが、彼とは話したことがないし、また話すような用事は今まで一度もない。顔を知っているし、彼が住んでいる家も知ってます。その両親も知っています。しかし、繋がりは何もない。また、大人になってから、町内で彼と出合ったとき、僕から軽く会釈したことはあるのですが、返さない。無視していました」
「どこが妖怪なんだ」
「まあまあ、これからですよ」
「それが、どうヘンゲする」
「馴れ馴れしくなったのです。気さくなったのです。すごい変化です」
「それだけか」
「髪の毛が妙なんです。伸びています。若禿なので、それ以上髪の毛は伸びないのか、長髪と言うほどではありません。それが仁王さんのように髪の毛が総立ちなんです。癖毛なんでしょうね。よく漫画なんかに出てくる博士のように、爆発したような、あの感じです。そして、一方的に何か話してきているのです。いつも無表情で、ぶすっとしているのに、非常に豊かな表情で真っ赤な口を開け、生き生きしています。しかし、何を言っているのかが分かりません。僕に話しかけているようなのですが、挨拶ではなさそうなんです」
「彼の職業は」
「私塾の先生です。家で塾を開いています。小学生相手です。しかし、それはすぐにやめたらしいです。近所の子供が通っていましたが、小学校4年生までで、五年生六年生は受け付けていないようです。しかし、背の低い中学生が通っていたらしいのです。ここがポイントですよ。先生」
「何、何が、ポイントだと」
「小学生の五年六年生は教えないが、小柄な中学生なら教える。これです。これ。もう何を示しているか、分かりますよね」
「それは妖怪とは関係なかろう」
「要するに、変な男なんです。でも、子供には人気があったとか。優しい先生だったためです。いや、むしろ優しすぎたのかもしれませんねえ。それよりも、すべて女の子でした。これも大きなポイントでしょ」
「話が見えんが」
「そこまでは、まあ寛容範囲内でしょ。ところが、人が変わった。その証拠が、今朝の散歩で分かったのです。ヘンゲしまたした。何かが吹っ切れたのか、または、壊れたかです。なぜなら、いつもなら、遭遇しても挨拶さえ返さないのですよ。せき止めていたものが決壊したのです。どう見ても、不審者です。ただ、同じ町内の人間なので、不審者扱いは出来ない」
「それは、妖怪ジャンルではない」
「妖怪の発生って、こんな感じじゃないのですか」
「私は、そんな失礼な言い方はせん」
「いつもやってるじゃないですか」
「それは妖怪じゃない。病院へ連れて行けばいい」
「人変わりって、怖いです。化けたも同然。別のものになっているんですから」
「元々そういうタチの人なのじゃ。妖怪扱いするでない」
「はい」
「昔なら、祓えば治ったかもしれんのう」
「はあ」
「じゃ、先生は、彼に何かが取り付いていると」
「そう考えたほうが、穏便じゃ」
「お、穏便」
「彼のせいではないということよ」
「しかし、お払いの婆さんなんて、産婆の婆さんのように、もう身近にはいませんねえ」
「そういうことじゃ」
 
   了
 


2012年10月17日

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