小説 川崎サイト

 

負荷の魔

川崎ゆきお


 これは異空間へ入り込む話ではないが、現実とは異なる異界をどうイメージするかの話だ。
 そのイメージの一つとして、トイレへの道がある。この場合、夜中に目を覚まし、トイレへ行く道中に限られる。なぜなら、それまで眠っており、意識はあるものの、少し休憩していたため、起動直後と言うことだ。これは電車内で居眠りをし、目が覚めたとき、そこが何処なのかを探るときの感覚に似ている。
 要するに連続性が切れているため、それに慣れるまで少し時間がかかる。
 眠っていた場所、つまりベッドや布団からトイレまでの道中が暗い場合、より効果的だ。目がまだしっかりとは起きていない。また、体の動きもややぎこちない。
 下手をすると、まだ夢の中にいるのではないかと思うほどだ。眠りながら歩く病もある。このとき、どんな景色を見ているのだろうか。そのとき、持っている意識と、起きて働いている意識との違いは、どんな感じだろうか。
 これらは意識に負荷かがかっていると見るべきだろうか。
 似たような例として、熱にうなされているとき、もうろうとした意識の中で見る景色がある。
 田村は、以上のようなことを考えている。
 異界とトイレへの道では、ファンタジー性が低い。しかし、布団からトイレのある場所までの移動中は、確かにトイレ街道のように独自のものがある。
 それは本来なら眠っている時間に起きたためだろうか。夜更かしをすると魔物が出るとか、子供の頃言われた。起きていてはいけない時間帯なのだ。
 しかし、目が覚めることがある。そのほとんどはトイレだ。本来は眠っている体で動いている。歩いている。
 通ってはいけない時間帯に通っているのではないか。
 トイレ街道には風景がある。暗いので室内を横切るとき、自分の部屋なのだが、他人の部屋のように見えてしまう。よく知っているのだが、明かりを消すと何かに足の小指を引っかけそうだ。
 また、廊下に出たときも、よく分かっているはずなのだが、暗いので全体を把握できない。
 だが、方角は分かっているし、明かりのスイッチ場所も知っている。目をつぶっていれば無理だが、暗くても、明かりが何処かから入ってきており、何となく分かるものだ。ただ、このとき、まだ目も頭もしっかりとは起きていないので、風景としては曖昧だ。
 トイレへ向かうときの、この沿道沿いに何かがいそうな雰囲気もある。
 そして用を足す頃には、目も頭もかなり戻っている。そこが異界であとなどとは感じないが、意識し始めると怖くなる。
 それは夜中怖くて一人でトイレへ行けなかった頃の思い出と繋がっているのかもしれない。
 寝起き状態の意識が、その子供の頃のレベル状態に落ちているとすれば、化け物が出る街道であってもおかしくはない。
 もし、足の怪我で、一歩進むのに、相当時間がかかるとすれば、長い道中になる。
 田村の得た結論は、負荷が魔を見せるということだ。
 
   了


2012年11月9日

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