小説 川崎サイト

 

空耳

川崎ゆきお


 いつ頃のことなのかは分からないが、その地方では木枯らしが吹く頃になると、あれが出るらしい。そのあれは、音として聞こえてくる。木枯らしの音なのだが、それに混ざっているらしい。
 竹田はこの怪談の語り始めが好きだ。
 最初の「いつ頃」は大きな時代だ。百年前かもしれない。次の木枯らしが吹く頃の「頃」は冬の頃だろう。だから、例年この季節になると、あの音が聞こえてくる。
 あれが出るらしいの「あれ」は畏怖すべき存在だろう。人外のことかもしれない。つまり、バケモノだ。
 竹田はこの怪談の中身よりも、音について考えていた。確かに妙な音が聞こえることがある。その多くはこの世から来ており、ただの物理現象だ。しかし、木枯らしなどで、木の枝や葉が揺れるときに出す音は、その音だけを聞いていると、非常に怖い。まるで、誰かが叫んでいる、泣いているようにも聞こえる。笑っているように聞こえるのが最も怖い。
 天井裏に何かの虫や小動物が入り込み、それで音を立てることもある。この場合も、正体が分からないときは、不審音となる。
 竹田が聞いた木枯らしの頃の怪談は、笛の音が混ざるというものだった。タイトルは忘れたが「地獄の笛」だったように記憶している。
 誰かが奏でているのだ。そのためメロディーがある。単調な音の繰り返しではなく、また、風の強弱に関係なく、ある意志を持った調べが聞こえてくるのだ。
 そして、その正体が何であったのかは忘れてしまった。人外のものが、その笛を吹いており、それに近付くと、地獄へと落とされるというような内容だった。
 音で人を誘導し、そのまま亜空間へと連れ込むのだ。その怪談では、地獄と言っていた。まあ、他に言いようがなかったのだろう。どんな地獄かは分からない。きっと地の底だろう。
 この怪談の元になったのは、ある民話のようだ。そして教訓が施されている。謎を追いかけていくと、結局は地獄へ迷い込むと。だから謎は謎のままにしておくほうがよくて、それを解明しないほうがいい。なぜなら解けない謎があるためだ。永遠に解けないため、無限ループに入り込み、それは地獄のようなものだと。
 教訓付きの民話になる前の、元の話が聞きたいものだが、そんなものがあったのかどうかは分からない。また、今となっては調べようがない。
 これは不審なものには近付くな。ということでもある。
 そして、原型は、音による錯覚、空耳のようなものではないか。それがベースになっている音で、そこに何かを加えて、作曲したのだ。
 竹田は、この怪談を子供の頃知った。その後、音に関して敏感になったようだ。何処かで音がしているとき、そこに作為的な階調が含まれていないかどうかが気になった。
 一番身近なその種の音として、雨音がある。それを聞いていると、いつの間にかある曲に聞こえてくる。だから、これは、雨音が立てる音ではなく、竹田が曲を作っているようなものだ。
 そうして、音にに敏感な竹田は、その後、作曲家になったわけではない。
 竹田のその空耳は、何もないところでは聞こえてこない。だから、空耳ではない。何かの音がないと、その音が頭の中で踊り出さないのだ。
 ただ、寝る前など、よく音を聞いている。何かの曲だ。耳から離れないで、ずっと回っている曲がある。
 そして、それを意識し出すと、色々な曲が演奏される。そして、聞いている側も盛り上がり、寝付けないことがある。
 
   了

 


2012年12月3日

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