小説 川崎サイト

 

最初の第一歩

川崎ゆきお


 何かについての第一歩なのだが、それには目的地がある。そこへ向かっての第一歩で、この一歩は小さくてもかまわない。人間の歩行は一歩足を出せば二歩目は楽に来る。二歩目を出さないとバランスを崩し、前に倒れてしまうためだ。
 そのため、二歩目は嫌でも出る。
 だが、その最初の第一歩も、目的を定めないと踏み出せない。あくまでも目的に向かっての第一歩なのだ。
 そのため目的が問題になる。目的には引力あるのか、それに引っ張られるようにして、最初の一歩を出してしまうのだが、可能な目的に限られる。
 もしその目的が不可能事か、または可能性が低い、自信がないなどとなると、踏み出せない。
 確実に大丈夫な目的の場合、達成したときに得られるものは、それほど大きくなく、また価値も低い。わざわざ歩いてそれを取りに行くほどのものではないと考え、ここでもまたその第一歩を踏み出せない。目的に魅力がないのだろう。
 では、目的なしに、第一歩を踏み出した場合はどうだろう。何でもいいから一歩を歩を進めるのだ。これは目的はもういいから、そして報酬はいいから、足を動かしたいだけなのだ。
 奥野はそんな状態で、空の目的を適当に作り、それに向かっている振りをし続けていた。
 これをヌル作戦と呼んでいる。ヌルとは無を返すと言うことだ。何もないゼロだ。しかし現実上では何もない無というのはない。無もまた有るのだ。無として。
 奥野が考えているヌルとは、自分にはないに等しいが、人によれば有る。
 つまり、奥野がある職業を選んだとしよう。もちろん仮に。その仮は奥野にとっては絶対になれない職業だが、ある人にとってはなれる職業だ。だから決して空でも無でもないが、奥野から見ればほとんどゼロに近いものだ。
 それに向い第一歩から百歩千歩踏んだとしても、小数点がずらりと並んだ可能性しかないとなると、理論上は近付いたことになるが、やるだけ無駄なことなのだ。
 しかし、ヌル作戦に出た奥野は、意外とこの方法が安定していることに気付いた。なぜなら達成は不可能なのだから、安心なのだ。決まっていることが。
 そのため、成功に対するプレッシャーがゼロになっている。
 少し考えれば分かることだが、奥野は結局趣味を楽しんでいるということだ。その過程が何となく充実し、そこそこ達成感も得られる。
 そして奥野が欲しいのは、得るまで長くかかる達成物ではなく、一歩一歩進んでいく状態なのだ。何かに対しての一歩ではなく、一歩そのものが好きなようだ。
 
   了

 


2012年12月14日

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