小説 川崎サイト

 

エビス井戸

川崎ゆきお


 これは奇譚に属するが、非常に浅はかだ。しかし、奥に届く可能性もなきにあらず。
 その奥へ糸を垂らす。
 奇譚と言ったが、奇行かもしれない。
 町中に神社がある。よくある氏神様だ。鎮守さんと呼ばれているが、そう呼んでいる人はもうほとんどいない。鎮守の森も狭くなったが、まだ背の高い古木が何本も生えており、個人の庭では無理な面積と密度だ。
 要は町中に埋まってしまい忘れられたような神社が舞台。
 夜中その神社に人が集まる。丑三つ時にしてはまだ早い。ふつうの勤め人が、そろそろ寝ようと準備にかかる時間帯。
 神社に集まった連中は、糸を垂らしている。何かの行事のようだが、年に何度かの行事ではなく、日常的な行事らしい。
 本殿にはスサノウを祭っている。この地方の村の神社では一般的だ。
 この行事はスサノウとは関係しない。本殿脇の茂みにエビス神社がある。小さな祠だ。他にお稲荷さんもある。小さな祠はショートカット用のサムネイル、アイコンのようなものだ。本殿に遠慮して、小さい。
 奇譚、奇行、糸を垂らす。
 五人ほどいる。エビスさんの祠前に井戸があるのだ。本来なら賽銭箱を置く場所だろう。本物の井戸ではない。一メートルも深さはないだろう。蓋がしてある。それを開けるのも行事らしい。
 以前は、落ち葉が穴にたまり、雨水も入り、荒れ果てていたのだが、この連中が綺麗にした。ほんの数ヶ月前で、この組織が出来てからだ。
 彼らはまだ若い。
 奇談的なのは、行為もそうだが、扮装が妙だ。といっても服装は普段着なので、特に変わってはいないが、問題は首から上だ。
 面を付けているのだが、それが裏がえっている。面のお顔は当然エビスさんだ。笑っているあのエビスさんだ。その面を裏向けにしてかぶっているのだ。
 行事の名前は裏エビス。
 糸の先には乾燥エビが付けられている。赤くて小さく、そして安い。
 エビでタイを釣る。そのパフォーマンスをやっているのだろう。
 この行事は、郷土史家が自費出版した本に書かれていた。その本が町の図書館にあり、若者の一人がそれを読み、復活させようとしていたのだ。
 昔、実際に行われていた裏エビスの行事だが、二三回行われただけだ。
 しかし、エビスさんの祠と空井戸は残っている。
 裏参りのようなものなので、夜中に行われたようだ。
 若者たちは何でもよかった。そういう奇行が楽しいのだ。
 ただ、第三者が彼らの顔を見た場合、かなり驚くだろう。エビス顔が裏がえっているためだ。
 エビでタイを釣る役は一人で、大顔のエビスだ。この面は倍ほどある。しかし、この面も裏がえっているので、エビスだとは分からない。
 この若者たちは、就職すると、後輩に譲ると決めている。
 何度かやっているうちに怖くなってきたからだ。
 最初は奇行だが、それが奇譚になってくる。
 それは、糸に手応えを感じるときがあった。何かが引っかかっているのではないかと思ったのだが、かなり重いときがある。そして急に軽くなる。糸を引き上げるとエビが消えている。
 井戸の底に落としたのだろう。しかし、確認はしていない。
 ややこしいことをしていると、本当にややこしいものを釣り上げてしまいそうだ。
 
   了


2012年12月17日

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