小説 川崎サイト

 

破綻した発想

川崎ゆきお


 歯が痛くなりかかったとき、ふと目の前に歯医者の看板がある。
 腰が痛くなったとき、ふと目に前を見ると整骨院の看板。
 歯とか、骨とかに敏感になっているからだろう。
 自転車に乗っていて、腹具合が悪くなり、ふと信号待ちで止まったとき、内科医院が目に入る。これも、気にしているから、それが目に入るのだろう。
 それらは普段でも何となく見ている。しかし、視点をそこで止めたりはしない。特に用事がないため、意識しないのだ。
 アンテナを張るとは、そういうことで、受信機にネタをセットしておかないと、かからない。
 だから、常日頃から幽霊を気にしている人は、多くの幽霊を見てしまう。という風には言えないのは、見えないものは見えないからだ。いないものはいない。
 ただ、それが幽霊に見えることがある。そう見えてしまうから幽霊なのだ。この場合の幽霊とは、心霊現象ではない。
 アンテナ、受信機に何かを仕掛けることで、より多くの情報を得ることが出来る。
 というようなことを武田は発想法の本で読んだ。
 しかし、仕込むべきネタがない。
 別の発想法の本を読むと、ネタを仕込まなくても、何でもいいから、ある事柄をその場で考えよ、となっている。
 これは散歩中に見た看板文字でもいいし、テレビでの映像でもいい。何でもいいから、適当にキーワードを借りてくるのだ。何でもいいのだから、偶然開いた国語辞典のページの最初の言葉でもいい。
 そこから連想していくわけだ。
 しかし、この連想ゲームは最初だけで、特に善いものが取り出せたのは、最初だけで、その後、さっぱりだ。
 では、発想はどこから来るかだ。
 武田の場合、自分の発想ではなく、人の発想を借りてくる。つまり真似ることだ。これが一番安定している。そのためには、真似元を多く知る必要がある。
 コピーや物まねは、それほど善いものではないと武田は最初思っていたのだが、その真似元を見たり聞いたり読んだりするのも、結構大変だ。
 これは簡単な思いつきだけでは出来ない。やはり勉強がいる。
 それで最初に戻るのだが、何となく気になるものを見つけたとき、受信機にネタを仕込まなくても、気になるものはやってくるということだ。
 自分では仕込んだ覚えはないのだが、気になる。だから、何が気になったのかを探すことだ。これはおそらく武田の内面の何かに触れたのだ。
 ここから内なる世界への旅が始まる。
 しかし、ほとんどそれは徒労に終わる。
 それは残念な話なのだが、気になることが少ない方が、のどかでいいのではないかと、最近武田は考え直すようになった。
 人は何を考えているのかは分からない。その考えが破綻した場合、決してそれを話さない。
 破綻したネタはゴミだ。ゴミは捨てないといけない。
 
   了

 


2012年12月31日

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