小説 川崎サイト

 

蕪崎大根

川崎ゆきお


 蕪崎で大根を作っている夫婦がいる。蕪崎大根と呼ばれているが、そう呼んでいる人は少ない。実際にはそれを作っている農家だけで、市場でのブランド名としての名はほとんどない。
 よくある大根で、もっともよく栽培されており、値段も一番安い。大根にも種類があるが、蕪崎大根には特徴がない。だから、特産品とは呼べないのだが、その地でとれたものを、その地名で呼ぶのは問題はない。しかし、わざわざ普通の大根に蕪崎大根というように、地名をつける必要はない。
 蕪崎は住宅地になっている。市街地から近いので、農家は少ない。大黒という農家で、この大根を栽培している。これも特に記すようなことではない。他の農家は青梗菜や白菜を稲の間に植えている。別に何でもいいのだ。
 大黒家が大根を植えたのは、余っている種があったからだ。貰い物だ。
「蕪崎大根として売り出せないかなあ」
「無理ですよ。お父さん。普通の大根ですよ」
「これを薄く切って、千枚漬けにして」
「大根より昆布の方が高くつきますよ」
「昆布」
「ほら、千枚漬けに入っているでしょ。あのねばっとした昆布。あれが高いんですよ。大根よりも」
「じゃ、その昆布抜きでいい、それが蕪崎千枚漬けの特徴だ」
「唐辛子はどうします」
「それも高そうだなあ」
「やめましょう。あれは彩りだけですから。でも、あれが入っているから買う人がいるんですよ。辛い唐辛子、少しかじって、大根を食べるの」
 蕪崎の蕪はカブラだ。だから、この名を使わない手はない。活かすべきだ。玉突きの名手の名が玉田のようなものだ。ピッチャーの名が球児のようなものだ。
「大根と蕪とは違うでしょ。お父さん」
「同じだ。長いか丸いかだけだ」
「本当ですか」
「ああ」
「うちのは長いですよ」
「だから、大根だ」
「蕪じゃないですよね」
「蕪は書きにくい。だから、大根でいい」
「長いのを蕪って言わないですよね」
「言わない」
「丸いのは大根って言ってもいいんですね」
「ああ、大きな白い根という意味では同じだ」
「じゃ、白根と呼べばいいのにねえ」
「蕪での大根でも、長くても丸くてもいい。上に蕪崎をつければ、それでいい」
「昔は、ここ、蕪の産地だったんでしょうねえ」
「冠木崎だったらしい」
「かぶきって、木ですか」
「冠木ものの冠木だ」
「ああ、歌舞伎ですか」
「だから、蕪の産地じゃない」
「そうですねえ。誰も植えていないですし」
「ここは無理があるから、黙っておく。蕪崎大根として売り出すんだ」
「何処にです。お父さん」
「料亭だ」
「嫌ですよ。そんな営業」
「じゃ、直販する。畑の前で売る。蕪崎大根と大きな幟を作って、立てる」
「千枚漬けはどうします」
「おまえが作れ、それも売る。出来れば、道の駅に出したいが、あそこは審査が厳しい。無理だ。それに農薬を使うしな」
「はい」
 その後、蕪崎大根が有名になったという話は聞かない。
 
   了


2013年1月2日

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