小説 川崎サイト

 

元旦

川崎ゆきお


 正月元旦、高島は行く喫茶店を失った。正月休みのためだ。仕方なく少し遠いが自転車で駅前に出ることにした。
 高島は朝、喫茶店のモーニングサービスからスタートさせている。これが日課だ。これがないと、一日が立ち上がらない。生活習慣病の一種だ。
 元旦の朝なら初詣にでも行けばいいのだが、それは寝起きの行事が終わってからだ。何事も朝の喫茶店を済ませてからでないと動けない。
 喫茶店ではアイスコーヒーを飲みモーニングサービスのゆで卵とトーストを食べる。これを喉に通し、腹に入れないとエンジンがかからない。
 家で卵とトーストを食べれば済む話ではない。同じものでも違うのだ。パンの種類や卵の種類が違うのではない。喫茶店で食べないといけないのだ。
 そして、高島は別段ゆで卵やトーストが食べたいわけではない。といってコーヒーが飲みたいわけではない。喫茶店という空間に一度浸からないとだめなのだ。これは朝、入浴するようなものだ。それをしないと、一日が始まらない。また、始める気がしない。
 駅前にはファスト系の喫茶店がある。セルフサービスだが、ここにもパンと卵ぐらいはある。だから、いつもの喫茶店での卵とトーストでなくてもいいのだ。それに、毎日同じ品質の卵とトーストではない。たまに堅いトートのときもあるし、程良い柔らかさの時もある。そして、その種の食に関する興味は、高島の場合、薄い。ここはアバウトだ。
 駅前のその店なら、元旦でも開いている。年中無休なのだから、当然だ。ただ、遠いので、滅多に行かない。
 いつもの喫茶店が定休日の日は、その近くの喫茶店に行っている。いずれも徒歩距離にあるが、個人営業の店なので、元旦からは開けていない。
 高島はハンドルの曲がった自転車を庭の車庫から引っ張り出す。ハンドルはやや右を向いている。スーパーへ行ったとき、風で倒れた。そのときハンドルから落ちたのだろう。すぐに戻そうとしたが、かなり堅い。真ん中のねじをゆるめれば楽に回るのだが、その道具が見あたらない。力任せで戻そうとしたが、腕の筋を違えてしまった。長くその筋肉や筋を使っていなかったのだ。
 その自転車に高島は乗る。
 アップタイプのハンドルで、握る箇所はぐっと手前に出ている。しかし、右側が傾いているので、両手をハンドルに乗せたとき、右腕は左腕より伸ばさなくてもいい。
 高島は裏道に入る。自転車はいつものように進む。ハンドルが少し歪んでいても、直進性に問題はない。
 元旦らしき風景はそこにはない。年々その風情は薄れていく。よく晴れており、冬の割には暖かい。自転車で走ると寒いのだが、今日は大丈夫なようだ。そのため、苦痛ではない。
 裏道を何筋も繋ぎながら、駅前に近づいた。
 ファスト系喫茶店は駅のどん前にある。さすがにそこに自転車を置けない。それを知っているので、駅に近づく手間で、止められそうな余地を探す。ところが、非常に多くの自転車が不法駐輪状態となっている。スーパーの前や、銀行の前、ビデオ屋の前。カラオケ店の前。どの場所も自転車で溢れている。
 元旦らしくない。
 道ばたでボウダラを売る露天が出ている。さらにミカンの付いた正月飾りがずらりと並んでいる。朝から人も多い。この時間なら、雑煮を食べ、初詣に行く程度だろう。スーパーがもう開いているのか、前や後ろにレジ袋を積んだママチャリが走っている。
 神聖な朝だ。元旦でもスーパーは開いているのだが、それにしては、賑わいすぎている。
 しかし、正月からボウダラどうして売る必要があるのだろうか。既にお節料理などは出来ているはずだ。今から作る人がいるのだろうか。しかし、朝からなぜボウダラを売っているのだ。
「明けていないのではないか」
 つまり、まだ元旦ではなく、大晦日の朝。
「そんなことはない」
 高島はケータイを取り出し、日時を見た。一月一日となっている。間違いない。しかし、この駅前は31日の風景ではないか。
 高島は自転車を止めないで、そのまま駅前を通り過ぎた。喫茶店にも入らず。
 そして、駅を抜け、踏切を渡る。駅の反対側に出る。
 初詣らしき家族連れがいる。駅前の店舗はほとんどシャッターが閉まっている。ポツンポツン駅にやってくる人は、足取りも緩やかだ。和服を着たお婆さんもいる。
「明けている」
 そして、再び高島は踏切を渡り、最初の駅前に戻る。ボウダラや正月飾りの露天は消えている。銀行前には開きスペースがあり、自転車も止められる。
「曲がったハンドル」
 そんなわけがない。自転車のハンドルが曲がっていたので、妙な場所にハンドルを切ったのだろうか。
 高島はファスト系喫茶店の自動ドアの前に立つ。
 扉は開く。
 レジで注文する。
 そして、聞いてみた。
「今日は何日ですか」
 店員は時間を聞かれたのかと思ったらしい。
「何日ですか」
「元旦です」
「ありがとう」
 高島はモーニングセットを持って席に着く。
 ここを出た後、きっちり元旦に、家に戻れるかどうか心配しながら。
 
   了


2013年1月3日

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