小説 川崎サイト

 

煙に巻く

川崎ゆきお


 とある業界のキーマンがいる。
 非常に古典的方法だが、高田はそのキーマンを料亭に招待した。接待だ。そのキーマン黒田は年輩なので、その路線に合わせた。
 キーマン黒田は膳を平らげ葉巻を取り出した。煙と白髪と白口ひげとが混ざり合う。煙幕を張るように。
 高田は手をたたき、日本酒を追加する。
 食べて飲む、これだけが目的ではない。おしかっただけでは済まないことは、キーマンの黒田は承知している。そろそろ言い出す頃だと。
「ところで、黒田さん」
「来ましたか」
「はい」
「本題だね」
「これでお近づきできたと思うのですが」
「ああ、近づいたね」
「今後も懇意に」
「ああ、そうだね。しかし、用件はそれだけかね」
「我が社のこと、よろしくお願いします」
「当然だろうねえ。しかしねえ高田さんと言ったかね、あなた」
「はいジバングの高田です」
「ジパング、高田。はいはい、覚えておきますよ」
「ところで」
「だから、覚えておくと承諾しましたよ。まだ何か」
「記憶だけではなく、配慮の方も」
「言われなくても処置しておきますよ。しかしねえ、私はそんな力はないのですよ」
「ご謙遜を、あなたがこの業界のキーマンであることは衆知のこと」
「私はキーマンではありません」
「しかし、業界を動かしているじゃありませんか」
「私じゃないです」
「え」
「部下です」
「ああ、ブレーンが」
「そんなたいそうなものじゃない。私の部下ですよ」
「その方が参謀なのですね」
「だから、私じゃなく、その部下を接待すればよろしかったのに、まあ、言っておきますよ」
「ああ、よろしくお願いします。今度は、その方もご一緒に」
「私と部下をですか」
「はい」
「しかし」
「何か、まだ」
「そのまだが、まだあるのです。実はその部下は参謀じゃない」
「はあ」
「だから、参謀じゃない」
「しかし、あれだけの企画を作られ、根回しされたのは」
「根回しは部下と私とがやっています。使い走りですよ」
「じゃ、本当のキーマンは」
「その部下の部下の女子事務員です」
「はあ」
「と言っても派遣ですがね」
「はあ」
「その女性が仕切っています。いいアイデアを出す人です。私は会ったことがありませんがね」
「じゃ、その企画段階で押さえるには、そのパートさんに……」
「パートじゃない、派遣だよ」
「その派遣さんに」
「と言うことだよ。だから、私を接待しても、あまり意味はないのですよ」
「じゃ、その部下という方を」
「彼も私と似たようなものだよ。詳しいことは分からない」
「じゃ、その事務員さんを」
「聞くところによるとね」
「はい、何でしょうか」
「その事務員の妹らしい」
「はあ?」
「参謀は、その事務員でもなく、その妹だということらしいよ」
「待ってください。それって、まだまだ続きますか」
「これだけ深いともう十分でしょ。そこから先は知りません」
「その妹さんは何をされているのですか」
「知らない」
「だから、今日の接待は、部下に伝えておきます」
「届きますか。その妹さんまで」
「さあ」
 黒田は葉巻の煙を大きく吐いた。忍者が逃げるときに使う煙幕のように。
 料亭を出たジパングの高田は一人夜道を行く。
 体よく断られたのだろう。
 
   了


2013年1月7日

小説 川崎サイト