小説 川崎サイト

 

死者からのメッセージ

川崎ゆきお


 世の中には不思議な話がある。それを科学的に、あるいは心理現象として説明しようとしているのだが、素人目で見ても、納得しきれないことがある。
 たとえば夢枕だ。もろに亡くなった人が枕元に立ついたなどの話は、夢で済ませることができるが、なくなる時間にそれが起こったとなると、科学的因果関係系でどう説明できるのだろうか。
 またある有名な歌手が亡くなった瞬間、それまでよく使っていた劇場が停電になった。停電はそれなりの頻度で起こっているだろうが、同時刻というのは出来すぎている。
 停電の場合、錯覚ではすまされない。
 こういうことは、不思議なこととして、まあ、あるのだろうなあ、程度のこととして、多くの人達は認識しているのだろう。
 ただ、それ以上騒がないのは、そっとしておきたいからだ。そんな現象があったからといって、特に困るようなことはない。寧ろ納得できるメッセージとして受け取る。
 昔の人は、そういった現象を信じていた。普通のことだったのだ。しかし、今は非科学的だと言われるので、あまり口にしないが、プライベートなレベルでは受け入れているのではないだろうか。
 そういうことを言い出す人はあるカテゴリーに放り込まれるので、公言しないのかもしれない。
 霊的なこと以外でも、共時性と呼ばれている現象は結構起こっている。それらは意識していると、そう感じてしまうのだと心理学者は説明するのだが、それは職業柄そう言うしかない。神秘的なことを合理的に説明するのが役割なのだから。
 しかし、その説明範囲を越えた体験すると、安心していられない。これはないだろうというような偶然がある。
 それらの偶然現象は、本人にしか分からない微妙な変化だ。風邪も引いていないのに悪寒がしたとか。
 また、ドラマでよく使われている演出だが、ある人が亡くなった時刻、使っていた茶碗が割れる。茶碗が割れるのはよくあることだが、同時刻というのが問題なのだ。
 茶碗はそのままでは割れないので、落として割れる。手が滑ったのだろう。これは分かりやすい演出なので嘘くさいが、
 また、そのときは気付かなったが、あとで思い出すと、その時刻、何かが壊れていたり、いつもの違う体調になっていたり、その人のことを少し思い出していたことを思い出したりする。
 当然、いつも見ないのに、その人の夢を見たなどは、かなり来ている。
 もっと科学が発達すれば、素粒子レベルでそれが分かるのかもしれないが、やぶ蛇になるかもしれない。
 時間の概念が、テレビドラマを見ているような流れではないのかもしれない。当然そこは何処の時間なのかも問題だろう。時間だけが刻まれ続けるという世界も考えにくい。そして、世界は一枚ではないのだろう。
 
   了

 

 


2013年2月12日

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