小説 川崎サイト

 

山の神と山河童

川崎ゆきお


 妖怪博士は精霊が見えるという爺さんがいるというので訪ねてみた。川をかなり遡った山里だ。定期バスは通っているが、道が狭いためマイクロバスだ。
 その爺さんは村では宇和爺と呼ばれている。村といっても一箇所に家々があるわけではない。川沿いや少し登らないと行けない高い場所に点在している。宇和爺の家は、かなり登らないと、見えてこなかった。
「精霊が見えると聞いたのですが」
 軽い挨拶の後、妖怪博士はいきなり切り出した。
「孫が言いふらしたんじゃろ」
「どのように見ますかな」
「見えはせん。感じるだけじゃよ」
「一度試してもらえませんか」
 宇和爺はもう一度名詞を見る。印刷されていない手書きの名刺だが、妖怪博士とはっきりと記されている。
「それは研究論文か何かの実験ですか」
「いえいえ、個人的な興味です」
「興味」
「はい」
 宇和爺は眉毛を八の字にする。最初から下がっているので、かなりの角度だ。下手をすると垂直になるのではないかと思えるほど。
「どうぞ、気楽に。少しその辺りを散歩する程度でいいのです。何か感じたら教えて下さい」
「困った孫じゃ、言いふらすもんで、ついに学者先生が来たわい」
「いえいえ」
 宇和爺の敷地は平らな場所にある。そこだけが平たい。庭は野菜畑になっているようだ。そこを抜けると、斜面となり、すぐに山道と合流する。
「このあたりは全部植林じゃから、精霊様は出ん」
「では、もっと山奥ですかな」
「いや、近くにおることもある」
「それは奥山の獣がたまに里へ下りてくるようなものでしょうか」
「ああ、それに似ているかな。それは餌を食いにじゃのうて、散歩かもしれんわ。山の神さん達のな」
「複数ですか」
「ああ、いろんなのがおる」
「たとえば?」
「河童」
「川が遠いのに」
「山河童じゃ」
「ほう。それは初耳です」
「しかし、山河童は山~様の眷族でな」
「子分ですな」
「そうそう。しかし、最近は悪さもしおる」
 宇和爺は杉林の中を歩いて行く。いずれにしても斜面で、道らしきものはない。
「この辺り全部植林じゃ。昔からあった樹じゃない。だから、山の神様は、こういう所には来なさらん」
「山河童は?」
「来よる」
「ほう」
「山河童は悪さをしておるように見えても、実は悪しき奴らと戦っておるのじゃ」
「ほー」
「それはのう、山の神が居んようになったからでな」
「この辺りにですかな」
「奥山にも滅多におらん。ただ、植林が荒れて、昔に戻っておるところもある。そう言うところで見たことがある」
「それはどうやれば見られますかな」
「先にも言うたが、実際には目で見たわけやない。感じるんじゃわ」
「はいはい。それはどんな感じで、感じられますかな」
「こうして、探しておるときには感じられん」
「はい」
「わしゃ、山菜や薬草を採りにお山に入る。木の苗なども持ち替えることもあるがな。このお宝探しを毎日やっておる。だから、お山に毎日入り込んでおるからよう知っとる」
「猟はしないのですかな」
「やるが、鉄砲は使わん。罠を使う」
「はい」
「だから、いつものように、山菜を摘んでおるときなど、ふとややこしゅうなる」
「ややこしくなるのですかな」
「ああ、何か近くにおる」
「ほう」
「まあ、山の中に一人で入れば、そんな気分に誰でもなるんじゃが、わしの場合、何とのう形が分かるんじゃ。ああ、これは樹の霊じゃな、とか、大きな岩なら、その中に何か入っておるんじゃ。それはのう、直接見ると感じられん。じゃから目玉を動かさんこっちゃ。神様はのう、見られるのが嫌なようだよ」
「今は、何か見えますかな」
「そう思うて見ていくと、何も見えんがな」
「ああ、そうでしたねえ」
「もう少し行くか」
 杉林の先に雑木林がある。ここは岩が露出しているので、好きなように木が生えている。
 宇佐老人はそれを指さす。
「山河童は、あの岩場が好きじゃな。最近出たのを見たことがある」
「はい」
「誰かと戦っていましたか」
「ああ、その通り。悪い奴らだ。町から沸き出して来よるのか、妙な連中じゃ。お山の神様がおらんようになったんで、やり放題じゃ。山河童だけでは持たんぞ」
「山の神様の眷族は山河童だけですかな」
「昔は天狗が出たらしいが、そんなのは明治前じゃよ」
「しかし、山の神様もたまには出るのでしょ」
「樹の神様や岩の神様だけではのう」
「攻撃力が弱いと」
「まあ、そうじゃ」
 岩場に黒い影が動いた。
「あれはイノシシじゃ」
「イノシシは化けますかな」
「化けん」
「はい」
 宇和老人は左膝が痛くなったということで、引き返すことにした。
 別れ際、「参考になりましたかな」と、聞かれた妖怪博士は、大いに参考になったと答えた。
「これを」と、妖怪博士は鞄から何やら取り出した。
「おお」
 と、宇佐老人は喜んだ。
 それは大判の湿布薬だった。
「まだ、八枚ほど残っています。お使い下さい」
「うんうん、薬草を塗っても効かんのじゃ」
 宇佐老人は早速貼ろうとした。
「お大事に」
「ああ」と、宇佐老人の視線は膝を見ているのだが、その視界に妖怪博士の姿も入っている。
「ん」視線を妖怪博士に移す。
「どうかしましたかな」
「いやいや、何でもないがな。気をつけて戻りなされよ」
「ご老人も、お大事に」
 
   了

 

 


2013年2月17日

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