小説 川崎サイト

 

仙人を見た

川崎ゆきお


「絶対にあり得ない話が世の中にあります」老人が語り出した。
 聞き手の若い人は、それはぼけているのではないかと思った。
「夜中戸を叩く音がしたので、誰だろうかと思いながら、廊下まで出た。すると仙人が三和土に立っておった」
「鍵は掛けていたのでしょ」
「忘れていたのかもしれん」
「しかし、勝手に入ってきたのは、妙ですねえ。知らない人でしょ」
「だから、仙人だ。仙人に知り合いはいない。ボロボロの浴衣で、帯は縄で、片手に杖。傘の柄を長くしたような、つまり、持つところがぐるっと回っておるような。あれは傘立てがないとき、引っかけやすいのだろうなあ」
「夜ですねえ」
「そうじゃ」
「電気は」
「ああ、それなんだ。前の道の電柱に街灯があるが、これが電球で、明るくはない」
「よく見えましたねえ」
「そこなんだ君」
「でしょ」
「勝手に入ってくるのもどうかと思うのだが、さらに仙人だ」
「そうですねえ、考えにくいことが二つ三つ重なっています」
「声を掛けようとすると、消えた」
「ああ」
「戸を見ると、鍵棒は下りていた」
「ほう」
「夢でも見ておるのではないかと思い、布団に戻った。起きておるし立っておる。ここまでがまだ夢ではないかと思い、テレビを付けた。すると深夜番組をやっておる。その番組をメモした。翌朝、番組表を見ると、その番組が出ておった。スポーツ選手のドキュメンタリーで、その再放送じゃった」
「では、夢ではなかったと」
「うむ」
「仙人の人相は覚えていますか」
「髪の毛は短く、白髪、口ひげと顎髭がうっすらと」
「仙人だから、年寄りですよね」
「中肉中背の老人」
「そういうことは今までありましたか」
「夜中、坊主が廊下で正座している」
「えっ」
「想像じゃ」
「そういう空想をしたことがあるのですね」
「襖を開ける前、廊下で坊主が座っていたら、怖いだろうなあと、想像したことはある。想像したものが現実に現れるとしても、それは坊主じゃ。仙人じゃない」
「その仙人、見たことはありませんか。誰かに似ているとか」
「見たのはほんの数秒なのでな、しっかりとした記憶はない」
「顔よりも、帯や杖を見たのですね」
「縄が目立った。杖も目立った」
「はい」
「仙人が夢枕に立つというのは聞いたことはあるが、起きているときに見るとは、これ如何に」
「仙境への誘いかもしれませんねえ」
「そんな浮き世離れしたものに興味はない」
「でも、死神を見たよりもいいでしょ」
「まあ、そうなんじゃが、世の中にはあり得んことが起こるものじゃ」
「世の中ではなく、あなたの中では、ですね」
「では、寝ぼけておったのか」
「戸と叩く音は、戸に何かが当たったんじゃありませんか。どんな音でした」
「ドンドン」
「二回」
「うむ」
「偶然、二回も戸に何かが当たるというのも珍しいかもしれません」
「そうだろ」
「空耳でしょうねえ」
「いや、確かに表の戸じゃ」
「戸を叩く音で目が覚めたのでしょ。別の音と聞き違えたのかもしれませんよ」
「うーん」
「または夢の中で聞いた音とか」
「そう言えば、何か夢を見ていたように思うが、忘れた」
「夢うつつの状態で廊下に出た。ということです」
「やはり、寝ぼけておったのかのう」
「おそらく」
「あの仙人にもう一度会いたい」
「じゃ、いい夢を見られたのですよ」
「そうか?」
「仙人の夢を見るなど、目出度い話です」
「ああ、なるほど」
「ただし、立ち夢ですがね」
 
   了

 


2013年2月19日

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