小説 川崎サイト

 

異界へ

川崎ゆきお


 怪しい路地を見つけ、その中に入って行くと、異界に出てしまう。というようなことをよく考えるのだが、それが大通りからではどうかというと、あまりない。これは雰囲気の問題だろう。
 もし仮に異界が存在し、異界への入り口がぽかりと開いているとしても、異側が現実の地形や家並みに合わせていることになる。異界が独立してあるのなら、その入り口は地下かもしれないし空中かもしれない。山と山との間の空中かもしれない。つまり現実の地形とは関係なく、ぽかりと空いているわけだ。
 しかし、路地の奥に異界らしきものが出現したかのように見えることがある。それはただの路地ではない。非常に広く深い路地だ。
 ある町内の路地と、別の町内の路地とが交差するような場所。四つの町内が偶然そこで重なるような場所。路地の交差点だ。
 大石は子供のころ、そういった場所に行ったことがある。小学生に上がる前なので、世の中が広く見える。
 大石の住む町内の路地から出て、しばらく行くと、他の町内の路地へ出るのだが、この交差点はまるで都心だ。そこに駄菓子屋がある。小さな子供なので、路地の幅も広い。その駄菓子屋前はまるで大通りのように広い。
 当然見知らぬ子供たちを見かける。よその町内と接するところなので、他国人を見る思いだ。しかし、同じようななりをしている。
 大石の町内にも駄菓子屋はあるが、その町内の子供しか来ない。それとは違うほど大きな店なのだ。まるで百貨店だ。
 路地の奥にそんな世界が拡がっている。ただ、その先を行けば、普通の路地だ。しかし、それが交差する場所は一番奥まった場所にある。それ以上の奥はない。
 その巨大駄菓子屋には見かけない駄菓子やおもちゃが並んでいる。そして、見知らぬ子供たちとも接触する。
 大石の異界イメージは、この辺りにある。山の中ではなく、市街地なのだ。
 これが山里で育った子供なら、妙な形をした小山、降りていけない淵。滝の裏側のちょっとした穴。などが異界のイメージになるかもしれない。海辺で育った子供は、沖がそのまま異界かもしれない。
 だから異界の基盤は個人が持っていることになる。
 見知らぬ場所にいきなり出たときのゾクッとする感じ。この刺激がたまらないのだが、これも個人差がある。
 子供のごっこ遊びの現場は何処だろうか。どういう設定で、どういう世界をイメージしての遊びだったのか。
 大人になってから大石は、そういった異界への憧れは、当然消えたのだが、それに代わるようなものを求めているようだ。
 それは見知らぬ職業に就くとか、海外旅行をするとか、全く違う世界観を持っている人と出合うとかだ。
 それらは、路地の奥にあった、あの駄菓子屋へもう一度行きたいためかしれない。
 
   了

 


2013年2月21日

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