小説 川崎サイト

 

レジにて半額

川崎ゆきお


「うーん」
 石倉が声には出さないものの、そういう唸り声を出している。しかし、実際には出しているのだろう。その近くで耳を澄ませば聞こえるはずだ。
 その唸り声が聞こえたわけではないが、同年配の男が近付いて来た。
 石倉はハンガーに吊られた外套を見ていた。分厚い真冬ものだ。そろそろ春めいてきたので、半額近くになっている。
「うーん」
 横に来た男も、同じような声を出す。これは石倉に聞こえるような声量だった。
「あなたもこれですか」男が訊く。
「ああ、今朝は暖かかった。だから半額近くじゃなく、半額になっていると思い、寄って見たんだが、まだだ」
「私もそうです」
 男も同じ事を考えていたらしい。
 色違いやサイズ違いがずらりと並んでいる。デザインの違うものや価格の違うものが数種類ある。
 石倉とその男とは体格が違う。石倉はMサイズだが、一方はLLだろう。だからかち合うことはない。その安心感が二人にはあるのだろう。
「レジにて半額というシールが、もうすぐ出るはずなんだがね」石倉が言う。
「そうそう、レジで半額ねえ」
「まだのようですなあ」
「明日あたり、出そうですよ」
「しかし、暖かくなるに従い、徐々に欲しくなくなる。まあ、今季着るにしても、ごく僅かだ。来季向けだね」
「その来季なんだけど、次の冬、これがまた出ているときがある。しかしそれは不確実でしてね。出ないこともある」
「それは古い。やはり、今年ものが欲しい。値引き前から、私はこれを見ていたんだ。今は勢いをなくし、半額近いがね」
「さて、どうするかですなあ」
「私はレジで半額のシールを待ちます」
「今度来たとき、ごっそり消えている可能性もありますよ」
「それなんだ」
「そうでしょ。レジで半額のシールを付ける前に、売り場から消えていたりします」
「そういうこともありましたが、置き場所が変わっただけのこともありましたよ。隅っこのほうに追いやられていましたが、同じものです」
「そのときの価格は?」
「レジにて半額のシールありませんでした」
「その隅っこが最後でしょうなあ。そこで見失うと、もうあとはない」
「来年、また出ていることもありますが、それは不確実です」
「じゃ、今がチャンスですか」
「それで、私は三度チャレンジしました。買うつもりでね。しかし、今一つブレーキが」
「それは、デザインが気に入らないとかですか」
「この外套、首元が今一つなんです。ふわふわしたものがない」
「それはマフラーでフォロー出来るでしょ」
「まあ、そうなんですが、ふわふわがないので、見た感じ首元が寒そうなんですなあ」
「私は、このフードです。これはいらないと思います。それさえなければ買いですが」
「これは取り外せるでしょ」
「いらないものが付いているのが不満なんです」
「ああ、なるほど」
「それに比べると、二割しか引いていませんが、あちらの外套は満足出来ます」
「ああ、あれは元々高い。私らが見ている外套が三着買えますよ」
「だから踏み切れません」
「レジにて半額のシールが来れば、行けますか」
「行けます」
 その日からますます春めき、ヘビーな外套は必要ではなくなってきた。
 石倉は軽いコートを意識し始め、もうあの真冬の外套への興味も薄らいだ。
 その後、レジにて半額のシールが付いたかどうかは分からない。
 
   了


 


2013年3月3日

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