小説 川崎サイト

 

腹が鳴る

川崎ゆきお


 古い記憶や思い出よりも、村田は今のことが気になる。ぼんやりとしているとき、腹が鳴ると、何がとかと思う。
 腹が鳴る。
 腹は減っていない。さっき食べたところだ。鳴っている場所は腸だ。大腸か小腸かは分からない。消化中なのか、それともガスが移動しているのだろうか。
 つまり、今のことを思うことの方が多い。これは体調管理の問題かもしれない。そんな大げさなことではなく、腹は普通に鳴ることがある。ただ、気になるほどよく鳴り、しかも連続している。
 下痢なのかもしれない。と、そんなことを思う。
 これは身近なことを思うというよりも、身の中だ。頭の中でも思っているが、体も勝手に何を思ってか、何かをやっている。
 さて、古い記憶や思い出だが、村田は滅多にそこへ思いを至らせないようだ。至らないのではなく、詮無いこととして敢えて思い出さないのだろうか。いずれにしても、その記憶が今、この時点で役立ち、アドバイスでもしてくれそうな事柄なら、大いに思い出そうとするだろう。
 また、何らかの快感を得るために思い出すことがある。これは娯楽だ。非常に安上がりな。しばらくは、その思い出の中に浸れる。ただ、何度もそれをやると色あせるし、感動がない。
 それよりも腹が鳴るのが気になる。そのことに関し、村田は過去の経験を探そうとする。
 悪いものを食べたのかもしれないと思い、それを探すが、特に変わったものを食べて記憶がない。ここ数日、いつも食べているもので、特に問題はない。
 あるとすればおやつだ。昨夜間食でおやつを食べた。生ものではない。バター入りのクッキーだ。量が少ないのに高かったため、失敗したと思っていた。このクッキーはコンビニで普通に売られている。古いものではない。だから、問題はないだろう。
 そして、しばらくすると腹の鳴りは治まった。
 世の中には色々と思わなければいけない事柄は多い中で、腹が鳴る程度のことは何でもない話だ。しかし、普段とは違う体調というのは、世間の出来事よりも大事だ。なぜなら、これが病気だとすれば、世間に出ていけなくなる。
 しかし、幸いというほど大げさなことではないが、腹の鳴りは治まった。すると、もうそのことはすっかり忘れている。気にも留めなくなる。
 もし、それを今鳴るか、今鳴るかと、常に思い巡らせているとすれば、それこそ病気だ。それは鳴ったときに考えればいいのだ。
 そういえば村田は耳鳴りを気にしていた時期がある。今も鳴っているのだが、もう気にならなくなった。それらは生理現象のようなもので、上等な思い出ではない。個人的な話だ。
 人のことを考えると、自分のことが軽くなる。あまり気にならなくなる。これは便利なのだが、気を紛らわせているだけなのかもしれない。
 村田は未来に向かって生きている。だから、今、調子が悪いと、未来がしんどくなる。それだけのことだ。そして、その未来だが、何をかをなすわけではない。
 過去のことを思い出すと、それが足かせになることがある。過去、あることで失敗したとすれば、またその失敗を繰り返すのではないかと心配する。これは経験を活かすことになるのだが、出来ればその経験を忘れた方が好ましい。たとえまた失敗するにしても。
 何度失敗しても、それを気にしない人は、よほどそれをこじ開けたいのだろう。もし成功したとき、望んでいた未来が開けるためだ。
 経験を積むと、より巧妙になるが、老獪になるのならいいが、二度とその失敗を犯さないために、それを閉ざしてしまうことがある。まあ、閉ざしてもいいような事柄なのだろう。
 さて、古い記憶だが、村田は夢の中で思い出すようだ。これは自発的に取りだしたものではなく、勝手に出てくるのだ。だから、昼間、わざわざ昔のことなど思い出す必要がないのだろう。
 
   了

 


2013年3月13日

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