小説 川崎サイト

 

吉兆の丘

川崎ゆきお


 町を見下ろせる丘がある。昔は小山のような感じだったが、今は丘全体が宅地化し、樹木が生い茂る丘ではなくなっている。丘の端は崖で、その淵に僅かばかりの余地がある。
「春めいてきましたなあ」
 淵で寝そべっていた吉岡は声の方を向く。散歩者だろうか。身なりは悪くない。要するにそこで寝転がっていると、通行を妨げることになる。ただし、そこは道でも通路でもない。
 吉岡は上体を起こし、座る。これで後ろが空くはずだ。
「私はここから見下ろす町が好きでしてなあ。今日のように晴れているとさらによろしい。桜はもう散りかけていますが、木も草も勢い出しました。それにつられて、私もつい外に出て、こうして歩いているのですよ。滅多にここまでは登ってきませんがね。まだ、吉兆丘の面影がある」
「ここはキッチョウ丘と言うんですか」
「吉兆を占うの、あの吉兆です」
「なるほど」
「私は知らないのですが、もっと古い人に聞くと、ここに占い師が小屋がけしておりました。それがよく当たるというので、誰が言い出したのか吉兆丘。そして、その占い師の通称も吉兆さん。それは明治時代の話らしいです。まあ、占い師のことは忘れられても吉兆丘の名は残ったとか。親がこの丘を吉兆と呼ぶもので、子供もそれに倣ったのでしょうなあ」
「その占い師はどうなりました」
「元々は下の町にいたようですが、商売敵が現れましてな。そのライバルは土地の有力者の縁者、吉兆さんは追い出されたような感じでしょうなあ。それでこの丘に住み着いた」
「勝手に住んでいいのですか」
「この丘は、もう一方の顔役の持山だったんですよ。ほら、下の方にある一際大きなお寺のようなお屋敷があるでしょ。あの家の人が、まあ黙認したんでしょうなあ。町一番の有力者とは正面切って戦えません。だから知らないふりをしていただけ。口では出て行けって言ってたらしいですが、それは表向き。まあ、結局は援助していたんですよ。なぜなら、あの家の人は吉兆さんのファンだったから」
「そんなことがあったのですか」
「私も聞き伝えです」
「でも、明治時代なら、そんなに古くはないですよね」
「あのお屋敷の左側の、ずっと奥をごらんなさい。妙な形の松が何本か立っているでしょ」
「ああ、知ってます。あの場所。モータープールでしょ」
「この町最大の有力者の屋敷跡ですよ」
「じゃ、吉兆派が勝った」
「手を広げすぎたんでしょうねえ。何でも殖産で失敗したとか」
「じゃ、その縁者の占い師の占いは駄目だったんですね」
「もし、吉兆さんに占ってもらっていれば、また別の展開になったのかもしれませんがね。こればかりは分かりません」
「では、第二の実力者の家の人は吉兆さんの占いで無事家を残したのですね」
「そうではないらしいです」
「どういうことでしょう」
「当時の旦那さんは占いをしなかったようです。吉兆さんとはただの茶飲み相手だったとか」
「興味深いお話を聞かせてもらいました」
「じゃ、通りますよ」
「はい」
 吉岡はもう一段背中を折った。
 身なりのいい散歩者は丘の淵をゆるりと歩いてゆく。
 吉岡は、もしかして、先ほどの話に出てくる二つの家の、どちらかの子孫ではないかと、ふと思った。
 
   了


2013年4月7日

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