小説 川崎サイト

 

辛口

川崎ゆきお


 鼻水が出る。体が重い。寒の戻りで寒くなり、武石は風邪を引いたようだ。やや熱もある。
 若い頃、そんなことはどうでもよかった。その程度の風邪など問題にしていなかった。
 定年後しばらく経つ。武石は特にやることがない。こちらのほうも悩ましい。忙しいときは、それに夢中になり、風邪など気にしない。仕事の方が気になるからだ。風邪で効率が落ちることを心配した。そして一晩眠れば翌日には回復していた。軽い風邪ならそんなものだ。
 武石は定年後やることがないので、ブログを書いたり、コミュニケーションサイトに参加し、何とか外との接点を得ていた。
 長く専門職をやっていたので、ある業界のことには詳しい。もうそれを発揮する場所はないのだが。
 風邪で根気がなくなったのか、少しイライラする。熱のためかもしれない。頭がぼんやりするのだが、集中力のあることをすると、逆に苛立つ。
 その根詰まりしたようなイライラを強引にこじ開けようとした。
 いつも書いているブログの記事が少しだけ過激になった。いつもなら、それ以上のことは押さえているのだが、それを書いてしまった。本音が出たわけではない。自分でもフォローできない想像、この場合妄想に近いものを書き込んでしまった。
 するとコメントが多数付いた。普段の数倍だ。武石の妄想に賛同するコメントだった。
 武石のテンションは上がった。そして喜んだ。
 しかし、何かおかしい。その理由を武石は分かっている。そんなコメント程度のことで喜んでいる自分に違和感を感じるのだ。
 しかし、不思議と気持ちは明るく、元気になったような気がした。風邪のことも気にならなくなった。
 現役から退いたのだから、昔のような充実感は期待しないほうがいいのだろう。隠居の昔話でも十分かもしれない。
 風邪の症状はまだ治らないが、武石はもう一つブログを起ち上げた。辛口の。
 カレーにも甘口、中辛、辛口がある。武石のメインブログは甘口だとすれば、辛口があってもいい。中辛は中途半端だ。何処かで腰が引けると、ポリシーに関わる。それで辛口なのだ。激辛もあるが、さすがにそれは疲れそうなので、自信がない。
 それで武石は、新ブログのデザインを作り始めた。ここは辛口だぞ、と言うようなデザインだ。それに熱中した。風邪のことも忘れて。
 昔は何かに熱中している間に風邪など治っていたのだから。
 そして翌朝、風邪は治っていた。
 そして、メインの甘口ブログに昨日の続きを書こうとしたが、テンションが上がらない。一歩踏み込んだ内容で書こうとするとブレーキがかかる。自制が働くのだ。昨日は風邪でその制御がおかしくなっていたので書けたが、今日は駄目なようだ。そのため、平凡な記事となった。
 そして、昨日作った辛口ブログに初書き込みを行おうとしたが、これも気合いが入らない。わざわざ苦言のようなものを書く必要などないような気がしてきた。
 と言うことは、風邪を引かないと、辛口は書けないということになる。
 辛口が書けるより、風邪を引かないほうがいい。それが結論だった。
 
   了




2013年4月14日

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