小説 川崎サイト

 

能面

川崎ゆきお


 心の持ち方で風景が違ってくる。別に風景の鑑賞法ではない。
 日常、よく見ている風景というか、目の前に見えているものだ。室内なら部屋の中、外なら、いつもの道沿いだろうか。
 元気のいいときは風景も元気だ。生き生きとしている。そして鮮明だ。
 鬱いでいるときは風景も元気がない。また、風景など見ている場合ではないかもしれない。
 ただ、そういうときは元気ではない風景の方が見やすい。
 同じものを見ているのに、それだけの違いが出るのだが、これは気の問題だろう。具体的なものは動いていない。
 内田は名前からして内向きだが、気分に左右されやすいタイプだ。そのため、鬱いでいるときでも、元気になる方法を知っている。しかし、それは空元気であることも知っているので、その手は滅多に使わない。自身で自身を鼓舞するのも疲れるからだ。ここはやはり、自然にそうなるような具体的な何かが必要だ。それが呼び水となって気分が上がることもある。
 出来れば気分に左右されないで、淡々と過ごしたいのだが、色々と取り越し苦労をしてしまう。心配性なのだ。ただ、よい想像も多くする。そこまで上手く運ぶとは思っていないのだが、もしこれが上手くいけば、こんなに素敵なことになる……とか。
 たとえば何かの賞をいただけるのではないかと想像すると、トロフィーや盾などを置く台を買わないといけないのではないか、小さな盾ならそれを入れる硝子ケースが必要ではないか……等々だ。
 これは迎え喜びのパターンだが、騒々しすぎ、そして飛び出しすぎるのだ。フライングだ。
 そういうことで内田は内面が騒ぎすぎるため、それを押さえる重しのようなものを探した。
 そこで見つけたのが能面だ。飾るのではなく、手元に置いている。裸では駄目なので、しっかりとした箱に入れて。
 その箱を座右に置いている。そして、気が騒ぐとその箱を開け、能面を両手で持ち、じっくりと見る。
 この動作が結構落ち着くようだ。
 能面は表情があるようでない。能面のような顔と言えば無表情とされているが、見る角度や光線により違ってくる。しかし具体的なものは同じだ。能面が笑うと口が開くとか、笑うと目尻が下がるとかもない。
 同じ風景でも気の持ち方で違って見えるようなものだ。
 そして内田は、能面の顔をしばらく見ている。外の変化より、内での変化の方が大きいことを確認するように。
 その儀式が終わると、能面を袋に包み、箱に戻す。そして、蓋を閉め、紐で結ぶ。
 さてそれで、気を静めるわけだが、能面を見ているとき、内田に何が起こったのかは分かりにくい。きっと何も起こっていないのだろう。
 これはマジナイのようなものかもしれない。
 
   了




2013年4月18日

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