小説 川崎サイト

 

プラモデル

川崎ゆきお


 ある一つのことをやっていると、色々なものが見えてくる。一つのことが非常にマニアックなものの場合、妙なものに執着しているように見られるが、その執着力がなければ、ずっとやっていけない。目的を達成するために粘るのではなく、その事柄に粘着力があるので、やっていけるのだろう。糊のようにくっつけるのは、そのものだけではなく、本人との糊合わせのようなものでくっつきやすいのだろう。
 非常に狭い事柄、偏狭な趣味。これは視野を狭くすると言われているが、そうではなく、そこにも色々なものが含まれている。現実の今の状況や時代性も、そこからかぎ取ることが出来る。
 大きな世界、広い世界。世間一般と同じリズムが、その偏狭な世界にも反映されている。そして、その狭い世界から世の中の動きが見えているのだ。
 室田はそんなことを考えながらプラモデルを作っている。これは子供の頃からずっと続いている趣味だ。この趣味を続けることで、構造が分かる。どんな感じで世の中のものがくっついているのか、どの順番でやればはめ込みやすいか、等々だ。
 プラモデルはひな形だ。それだけに非常に引いた場所から見ている。手の平に乗る戦闘機、これは実物よりも観察しやすい。ただし細部や材質までは分からないが、大づかみに客観視できる。
 また、造形美や、機能美などにも敏感になる。美しい曲線は手で触れることも出来る。
 プラモデルは作ってしまうと嵩張る。そのため、箱に入れたまま放置している。作ってしまうと終わりなのだ。ただ、同じモデルでも別のメーカーのを作るときは、その部品の違いや、とらえ方の違いを味わえる。当然、昔買ったプラモデルと、最近のとでは全く違う。その差は時代の差だ。そこで何が起こったのかが何となく分かる。
 だから、大昔買ったプラモデルの箱は、玉手箱のようなものだ。開けると煙は出ないが、部品の袋を一つ一つ手にするだけで、十分楽しめる。そのビニール袋を開けてしまうと終わる。だから、そっと箱に入れて、時を待つ。
 昔のモデルはその時点で止まっているのだが、室田の時は動いている。これを買ってから色々なことがあった。そういう昨日までの過去が詰まっている。当然明日への予感も。それらを含めた上でプラモデルを見る。すると、そのプラモデルに今の状況が浮かぶのだ。買ったときに見たプラモデルではなく。
 当然最新のプラモデルを買うと、モロに箱の形や写真やイラストからして、少し前の今がある。元箱の質感も違う。ビニール袋も違う。組み立て図も違う。偏狭な世界だが、時代そのものが、そこにあり、世の中そのものの息吹が伝わる。
 当然、室田はそんなことを考えながら、プラモデルに接しているわけではない。何となく気付く今を感じているだけだ。この時代のひな形を見るかのように。
 
   了



2013年4月24日

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