小説 川崎サイト

 

都心へ

川崎ゆきお


 郊外にある駅前の喫茶店での話だ。
 この喫茶店には常連がいる。地元の年寄り達だ。日に二回来ている人もいる。
 田島も午前中と午後に来ている。特に仲のよい松下も同じだが、午前中松下の姿はなかった。そして午後姿を現した。かなり疲れた様子で。
「どうかしましたか」田島が訊く。
「ちょいと出てましたね」
「ああ、お出かけでしたか」
「特に用事はないんだけど、都心まで出て行ったよ」
「朝から」
「映画でも観ようと思ったのだが、まだだった。早すぎたよ。時間が」
「元気ですなあ」
「いやいや、いつも町内ばかりなので、たまには都心に出ないとね」
「それで今まで」
「映画館が開くまでうろうろしたよ」
 松下はぐったりとしている。
「どうでした」
「久しぶりに映画を観たので、疲れたよ。大きなスクリーンで見るのは久しぶりだからね、出来るだけ大きく見ようと前のほうに座ったんだよ。始まると目が回ったよ。映画どころじゃない。慣れた時分には話が分からなくなっていたよ」
「松下さんところのテレビ、かなり大きいと聞きましたが、そちらは大丈夫なんですか」
「最初はきつかったがね。毎日だと慣れる。それに映画館の画面ほどには大きくないよ。前の方で見るとね。上を見ないといけないんだ。これがまた疲れる」
「しかし、元気ですなあ」
「いや、もう都心へ出るのはよくないねえ。すっかり様変わりしているし、人が多い。それにみんなは足が速い。まあ、毎日のように出ている人達だろう。あの流れに乗れなくて往生した。立ち往生じゃなく、歩きながらの往生さ」
「よく聞きますよ。そういう話。ここによく来ている大峰さんがいるでしょ」
「ああ、あの人は始終出ているねえ」
「だから、慣れなんですよ」
「ところで、大峰さん、いつも何しに都心に出るのかね」
「散歩らしいですよ」
「散歩」
「電車に乗って帰ってくるだけらしいです」
「用事はないの」
「だから、散歩が用事」
「ほう」
「まあ、働いていた頃からの癖なんでしょうねえ。土日は別にして、往復しないと気が済まないらしいです」
「それはまた」
「だから、大峰さんは都心の人混みも平気らしいですよ。道や通路にも詳しい。新しく出来たパン屋とか、煙草が吸えるファストフード店とかね。裏側の通路にある立ち食い蕎麦屋とか、色々知ってますよ。だから、変化そのものを日々体験している。だから、あまり疲れないらしいです」
「なるほどねえ。じゃ、毎日じゃないと駄目なんだ」
「私は逆方向を目指しています」
「というと?」
「上りじゃなく、下り側ですよ」
「じゃ、田舎じゃないか」
「そうです。この駅前みたいに、もう喫茶店も店屋もほとんどない駅がありますよ」
「あるねえ」
「そっちの方が疲れませんよ」
「のんびりしているからねえ」
「そうです。あれは体験済みですから。この駅前も、以前は何もなかったんだから」
「しかし、新しいものはないだろう。新鮮な驚きが」
「いやいや、そんなものは期待していません」
「なるほどねえ」
 会話中、松下は珈琲を飲んでいない。
 都心部で飲み過ぎて、胃がだぶだぶだとか。
 
   了


2013年4月29日

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