小説 川崎サイト

 

寝禅

川崎ゆきお


 福田は体調を崩し、布団の中にいた。医者からは何もしないで、寝ていればいいということだったので、それに従っている。それを守り、出来るだけ体力を使わないで、じっとしていた。
 起きたばかりなので、すぐにまた眠れるものではない。
 寝ながら座禅をするわけではないが、頭の中に浮かぶことを適当になぞっていた。上手くそれに便乗し、思いが膨らむこともある。その連想の糸を手繰っていくと、様々な思いが胸に去来し、困ることもある。眠るどころか頭が冴え渡り、感情が湧き出す。
 じっとしているのも結構難しいものだと福田は感じ、出来るだけ楽しいことを思い出そうとした。しかし、これはこれでテンションが上がり、寝ている場合ではなくなってくる。
 色々な思いに引き込まれる。
 福田は興味本位で座禅をしたことがある。観光客として。
 短い時間なら耐えられるが、長くなると、魔が来る。魔に入り込まれ、偽の悟りを開くらしい。座禅ではよくあることらしい。だから、適当に体を揺らして、背中をパシリとやられる方が楽なのだ。あれで本当に無の境地に近いところに入ると、魔に差し込まれる。
 人は仏のように悟れないことを福田は知っている。そんな人を聞いたことも見たこともないからだ。ただ、部分的な悟りは得られるのではないかと思える。まあ何かを諦めるということだろうか。または、ある部分的なことをよく理解したということか。
「やっと悟ったな」と、福田は言われたことがある。それは新人社員の頃だ。この悟りと座禅での悟りとは違うだろう。
 というようなことを寝座禅で雑念しているうちに、連想の糸が自動化しだした。これは意図的に考え、思い巡らした糸ではなく、勝手にめくられるページのようなもの、あるいは知らないうちに浮かんでくるシーンのようなものだ。
 それを薄い意識の中で、福田は見ている。座禅をしていた寺の屋根や参道が見えてきた。土産物屋を通り過ぎ、お食事処の暖簾を潜る。そこで食べた天麩羅うどんが見える。するとすぐに場面が切り替わり、駅前の立ち食い蕎麦屋が見えてくる。福田はそれを食べ、出勤する。朝から油っぽいものを食べている。
 そこから先はもうぼんやりし、夢へと落ちていくのだろう。しかし、すぐに目覚めた。
 ああ、眠るところだった。と、やっと気付き、寝座禅を終える。
「そうか」
 と、福田は気付いた。
 座禅とは座った状態で、うたた寝していることなのだと。
 きっと、それは違うとは思うが……。
 
   了
 



2013年5月6日

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