小説 川崎サイト

 

小梅

川崎ゆきお


「あれは何処へ行ってしまったのだろう」と、縁側で日向ぼっこをしていた橋本は考えた。しばらくすると、その「あれ」が何であったのかを忘れた。だから、探し物が何であるのかが分からないまま探しているのだ。きっとウトウトしていたためだろう。
 そのあれは分からないままなのだが、大したことではないようだ。ふと過去の何かを思い出した程度の。
 それで橋本は探す目的を失ったのだが、目的から自由になったとも言える。
 それでも、何を探していたのかが気になり、あれとは何だったのかを探し出した。しかし、そのあれを発見しても、それがよく分からなかったわけだ。探しても見つからなかったので、あれを思い出しても何ともならない。しかし、もう一度あれは何処へ行ったのかと追いかけることが出来る。
 つまり、あれは何処かへ行ったものだ。何処かとは場所なのか、思い出なのか、そこは曖昧だ。
 しかし、あれを探しているとき、別のものが引っかかっていた。こちらのほうが興味深かったので、きっとそれに引っ張られて、最初のあれが消えたのかもしれない。
 そして、その別のものも忘れてしまった。これは寄り道しないで、最初のあれに戻ろうとしたためだろうか。
 それで、全てを忘れてしまった。
 そのあれは、きっとどうでもいいような昔の思い出だろう。今のことではないはずだ。たとえば以前に買ったハサミを何処かに仕舞い込み、あれは何処へ行ったのだろうと気になったような程度の。
 少し暑くなってきた。日向ぼっこのしすぎだ。
 橋本は陽の当たっていない側で座り直す。庭の草木がみずみずしい。新しい葉が出ている。雑草も勢いよく伸びている。
「思い出した」
 橋本は突然、あれを思い出したようだ。それは子供の頃植えた小梅の木だ。近くの畦に生えており、それを引っこ抜いてきたものだ。小梅なので背が低い。それを畑の垣根にしていたのだろう。その中の一番小さいのを抜いたのだが、結構根が強く張っており、抜くのに往生した記憶がある。結局全部抜けきれず、捻り切った。それで指を怪我した。
 それを子供の頃、この庭に植えたのだ。場所もしっかり覚えている。それがなくなってからかなり経つ。
 橋本はこの家で生まれ育ったのだが、数年間他の場所で住んでいた。その間だろう。この小梅が消えたのは。
 子供の頃は春先に花を付け、小さな実を結ぶ。これは食べることが出来た。大人になってからは、もう興味を失ったのか、色々と忙しいので、小梅のことなど忘れていた。だから、小梅が消えていても気にならなかった。消えていることさえ知らなかったのだ。
 その場所には今は何も植わっていない。雑草が茂っている。
 あれの正体は小梅で、何処へ行ったのかを探していたのだ。木なので移動はしないが、植え替えることは出来る。しかし狭い庭なので、ちょっと見れば分かる。
 きっと枯れたのかもしれない。
 それよりも、その小梅を抜きに行ったときの記憶は今も鮮明に残っている。
 そして、その畑も畦も小梅も、今はもうない。
 
   了


2013年5月15日

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