小説 川崎サイト

 

錯覚

川崎ゆきお


「君は錯覚しているんだ」
「錯覚」
「そうだ」
「あのう」
「何だ」
「錯覚ではない状態とはどんな状態でしょうか」
「正しく認識していることだ」
「あのう」
「何だ」
「それが、そもそも錯覚じゃないでしょうか」
「何?」
「きっと先輩は、それが正しいと錯覚しているんですよ。正しい認識だと錯覚しているのですよ」
「そんなことはない。誰に聞いても分かる」
「じゃ、みんさんもそういう錯覚をやってはるのですよ」
「やってはる?」
「はい」
「やってはるだと」
「そう思います」
「それが錯覚なんだ」
「先輩は錯覚していないのですか」
「そうだ。それに何だ。錯覚錯覚と、何度も何度も。それはどういう意味だ。どういうことだ」
「深い意味はないのですが、他へ行けば、ここでやっていることが間違いになることもあるんです。僕は色々な職場をうろうろしていましたから、ルールはローカルなもんなのです。ここでは通用しても、他では通用しません。だから、どちら様も錯覚しているんでしょうねえ。先輩のおっしゃる正しい認識の正しいが一杯あるんですよ」
「要するにこの職場が気に入らないということか」
「いえ、我慢して耐えます」
「耐えてる態度には見えんが」
「言ってるだけなので、気にしないで下さい。ちょいと感想を述べただけですがな」
「が、がな!」
「そいじゃ、錯覚している仕事に戻りますわ」
 年老いた新人は作業に戻った。
 一口どころか何口も多い。
 
   了



2013年5月18日

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