小説 川崎サイト

 

エージェント

川崎ゆきお


「よかった頃のことを懐かしむようでは、もう終わりですなあ」
「そういう頃がありましたか」
「大したことじゃないけどね。あの頃はよかったと思う。そして今はそれは出来ない。だから、過去にしかないんだよね」
「今は今の楽しみがあるんじゃないですか」
「まあ、そうなんだが、楽しむと言うほどのことではない」
「以前、何をされていたのですか」
「エージェントだよ」
「エージェント」
「作家さんと一緒にお仕事をする家業さ」
「じゃ、有名人だったのですね」
「私は裏方だが、私が作家先生を動かしていたねえ。ヒット狙いの作品を作り、それが売れ、アニメになったり映画になったり、アイテムが売れたり、海外まで市場を広げたりね。それらの段取りを、全部私がやった」
「凄いですねえ」
「今では大長老になっておられる複数の御大を知っておる。ただ、もう仕事がないからね。合うことはない」
「作家に代わって色々やっておられたのですね」
「原作というか、アイデアも私が作ったよ。先生は思うほど賢くはない。ものも知らない。まあ、才能はあるがね。それは天性のものだよ。作ったものじゃない。だから、私にはそれが出来ないが、珍獣を扱うのと同じでね。調教すればいいんだ」
「そのころを懐かしんでおられるのですね」
「ああ、面白いことが一杯あったなあ。珍獣先生が売れれば、私も潤った。あの頃はよかった」
「いい時代があったのですねえ」
「あんたにも、そんな時代があったでしょ」
「ありません」
「ほう」
「いい時代はなかったですが、まずまずでしたよ」
「なるほど、平凡な感じですか」
「非凡ですよ。私も」
「ほう」
「珍獣でした」
「え」
「私も珍獣でした。あなた、私を覚えておられないようですねえ」
「え」
「あなたに合いに行きましたよ。作品を持ってね」
「ん?」
「あなた、これは売れないから駄目って言ったじゃないですか。覚えていませんか」
「いや、そういう人は多数いたから」
「まあ、昔のことなので、もうどうでもいいことですが」
「あなたは、まさか」
「名乗るほどの者ではありません」
「お名前を」
「あなたの言われた通り、売れるような作品じゃなかったので、名のなきまま終わりました。だから名前を言っても、分からないと思いますよ」
「ああ」
 
   了




2013年6月3日

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