小説 川崎サイト

 

爺話

川崎ゆきお



 これは老人語りなので爺臭い話だ。
 若い頃ほどには無茶な夢を見られなくなっている。年を取るにしたがい、如何に幼稚なことを考えていたのかと、反省する。
 稚拙で幼稚な夢を見られたことが、逆に懐かしく、また羨ましく思える。やはり若い頃はエネルギーに満ちていたのだ。これが年寄りになると、分別臭くなり、選択肢が狭まる。
 岸田老人は、そのことを孫ほど年の違う後輩に語ったが、何の参考にもならなかったようだ。
「お話しは分かるのですが、それでは何も出来ません」
「いやいや、地味にやれと言っておるのではない。無理だと分かっておっても、やればいい」
「無理じゃありません。出来ることです」
「そう思えるところが若い。だから、まあ、わしとしては、それが羨ましいのだがね」
「それは現実が見えすぎるためですか」
「そんなことはない。気合いの問題だ」
「気合いですか」
「まあ、勢いだな。それが出ぬようになる。それだけのことじゃ」
「はあ」
「だから、君に説教をしているわけじゃない。わし自身のことを語っておるのじゃよ」
「要するに、やれることが縮小するってことですか」
「そうじゃな、年を取るとな。下手に利口になる。だから、年寄りからは新しいものは出てこない。無茶なことを考えんからなあ」
「でも元気なお年寄りもいるじゃないですか」
「あれは未来ではなく過去へ向かっておる。まだまだやれた時代に戻りたいだけのことだ。年寄りがやると無茶になるだけ。若い者がやれば普通だよ」
「岸田さんもどうです。大冒険をやられては」
「だから、その発想が若いから出来るのだよ」
「精神的に若い人もいるじゃないですか」
「まあ、それは人それぞれ」
「じゃあ、今回の計画、やってよろしいですね」
「駄目だと言ってもやるだろう」
「はい」
「それだったら、わしに挨拶などせんと、勝手にやればいい」
「一応礼儀として」
「相撲と同じでな。最初の当たりが強いと、押し返されたとき、それなりに残れる。その程度の効果はある」
「はい、パワー全開でやってみます」
 岸田老人は、こういう話を聞く度に、羨ましく思える。しかし、スケールは小さくても、小さな冒険なら出来そうだ。
 
   了

 



2013年6月5日

小説 川崎サイト