小説 川崎サイト

 

散歩コース

川崎ゆきお


「暑いのか寒いのかよく分かりませんなあ」
 梅雨時の散歩人の会話だ。
「雨だと薄ら寒い。晴れておると暑い。喫茶店に入ると寒いのか暑いのかよく分からん。冷房で寒いのかと思い、厚着で行けば暑い。それで薄着で行くと寒い。湿気で蒸し暑いかと思うと、カラッと晴れて暑い。もう訳が分からんよ」
「体温管理が大変ですねえ」
「気温や湿気、炎天下、低気圧、体が付いて行きよらん」
「それに体調もあるでしょ」
「それは大いにある。一人で暑がったり寒がったりしよる。自家発電装置の調子が悪いのだろうねえ」
「今日は曇り空ですねえ。降るかもしれません」
「それで、わしは傘を持ってきておる。邪魔だが杖になる」
「用意がいいですねえ」
「他にすることがないからのう。こういうところにしか頭が回らん。で、君は運動で散歩かい」
「はい、ずっと車ばかり乗っているものですから、たまには歩かないと」
「それはいいことだ。よくそんな時間が出来たね」
「少し仕事が暇になりましたので」
「それは結構だとは言えないが、まあ、体にはよろしい」
「一日五キロは歩きたいのですが、結構あります。それに歩きやすそうな道もそれほどありませんから、このコースを何周かするようにしています」
「五キロは長いですぞ。隣の街に出てしまう」
「はい、それじゃ不審者になりますから、この歩道を周遊しています」
「それは賢明じゃ」
「ご老人は、何キロほどですか」
「計ったことはないし、万歩計もない」
「何処から何処まで歩かれてます」
 老人は目印になる高層マンションと、洋服屋の巨大看板を指さす。
 少し年を取った若者は端末を取り出し、地図を出す。
「マンションと、あの看板の間なら五百メートルほどです」
「そんなにないか。遠いと思っておったのだが、実際にはマンション前から出て、洋服看板前で引き返す。だから……」
「はい、一キロになります」
「五キロだと君、何周かすれば可能だね」
「そうですねえ。私はもう少し片道を長く取ってますから、数周で済みます」
「その地図、少し見せてくれないか」
「はいどうぞ」
「わしの家は、この辺りじゃ」
「写真で見ますか」
「あるのかい」
「はい航空写真ですが」
 老人の家が分かった。
「ああ、この屋根、修理せんと駄目だなあ」
「そうですか」
「かなり傷んどる。色がこんなに変わっておる。本瓦にしておけばよかった」
「今、何処にいるのかも分かりますよ」
「それは見んでも分かる」
「そうですね。毎日歩いておられるのですから」
「まあな、しかし、真上からは始めてじゃ。わしはこんな所に住んでおったのか」
「視点を変えると、新鮮でしょ」
「まあな。それで、わしや君も写っておるのかな」
「以前撮った写真ですからねえ」
「いつ撮ったのかい」
「さあ、それは」
「今度撮影するとき、写っていればいいがな」
「そこまで細かくは見えないと思いますが、大きい目のもあります。この歩道横の車道が写ってますよ。見ますか」
「どれどれ」
 表示が動画になる。
 車視線で歩道も少し写っている動画だ。
「あっ」
「これなら、大きいでしょ」
「あっ」
「どうかしましたか」
「幽霊」
「はっ?」
「ここを歩いておられる鶯色の上着は山田の爺さんだ」
「あ、はい」
「先月亡くなられた」
「ああ」
「その前に撮影したものでしょうねえ」
「ああ、ありがとう」
 老人は端末を返す。
「さて、歩きに戻るか」
「じゃ、また」
「ああ」
 老人は何か言いかけた。
「何か」
「君の仕事、また上手く行くといいねえ」
「ああ、ありがとうございます。そうなると、もうここでで会えなくなるかもしれませんが」
「そうだな。幽霊にならんようにな」
「はいはい」
 
   了




2013年6月9日

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