小説 川崎サイト

 

生温かい風

川崎ゆきお


 鬱陶しく蒸し暑い梅雨の季節、風が吹いている。台風が近付いているのだろう。
「もう台風のシーズンかい。早いのう」
「梅雨入りしたばかりなのにね」
「しかし、この風は有り難いが、少し強いのう」
「窓を開けていると、カーテンがバサバサはためくし、寒暖計が落ちましたよ」
「寒暖計が落ちた?」
「鴨居にぶら下げてあるんですがね、掛け方が甘かったようです」
「甘い?」
「寒暖計の上に穴が空いてましてね、それを鴨居のねじ釘に引っかけていたんですよ」
「柱や壁じゃなく、横木かね」
「そこは障子戸です」
「場所が分かりにくいが」
「暑いので、障子は開けてあるんです。その鴨居の上に引っ掛けてたのです」
「それじゃ出入りで頭をぶつけるじゃないか。風より、そちらの方が落ちやすいと思うが」
「そちら側の障子は少し開けてあるだけで、通らないのです。だから、頭で引っかけません。その横は柱です」
「じゃ、どうして柱に掛けんのかね」
「柱だと、背景は木でしょ。やはり風鈴のように空中に置きたい」
「ほう」
「それで、風で落ちました」
「それほど強い風だったって、ことか」
「はい」
「それより、風があるのはいいが、蒸し暑いねえ。気温はそれほど高くはないのだが」
「台風が南から湿った空気を運んで来ているのでしょう」
「じゃ、いつもの梅雨時の風の方がいい。この台風の風は生温かい」
「出そうですよ」
「何が」
「生温かい風がふーと……」
「ああ、幽霊様の前触れか」
「どうして、生温かいのでしょうねえ」
「そうじゃのう。幽霊なのだから、冷気が差す方がリアルじゃが、生温かいとは何事じゃ」
「それは、空気が変わったことを言いたいのでしょうねえ」
「生温かいとゾーともゾクッともせんだろう。寒イボも立たん」
「そうですねえ。でも幽霊には火の玉が付き物ですから、その熱で、温かい空気が流れて来たんじゃないですかね」
「火の玉は温かいのかい」
「火ですから千度はあるでしょ」
「そりゃ熱い」
「でも、火の玉で火が点いたという話は聞いたことがありませんから、千度はないかしれません。照明程度。もしかすると、温度がないかもしれません」
「じゃ、火の玉で生温かい風が来るのではないのじゃな」
「体験したことがないので、分かりません。まさか幽霊の体温じゃないし。それなら非常に暑苦しい幽霊です」
「それはいいが、この台風の生温かい風は、気味が悪いのう」
「きっとそれがモデルかもしれません」
「なるほど」
「幽霊は夏物ですから」
「雪女もおるじゃないか」
「雪女は幽霊じゃないです」
「そうかね」
「やはり、幽霊話は夏ですよ。涼用です。だから、怪談は夏がシーズンなので、なるべく夏が舞台の方が季節っぽくていいのです」
「そういえば、怪談映画はお盆によくやっておったわい」
「そうでしょ。背景も夏が多いのです。夏物ですから、夏に観るものなので」
 雨が降り出してきた。
「おっと、小雨のうちに帰るか」
「そうですねえ」
 彼らは何処から帰るのだろう。
 
   了

 


2013年6月24日

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