小説 川崎サイト

 

按摩の笛

川崎ゆきお


 その日も立花はイラストを書いていた。何かの偶然で忙しくなり、寝る暇もないほどの日々が続いた。数ヶ月先まで毎週締め切りがある。これは偶然重なったのだろう。
 それで一日中絵を書いている。これは別に苦痛ではなく、絵を書いているときが一番安定している。他のことをするよりも。
 しかし、毎日毎日同じことばかり繰り返していると、やや息が詰まってくる。忙しくないときは息抜きで、何処かへ出かけていた。また書く気がしない日もあり、その時も適当にさぼっている。
 だが、今回はそれも出来ない。時間と締め切り日を照らし合わせると、少しさぼると後でどんどん苦しくなる。
 その夜も深まり、町も眠っていた。テレビも飽き、ラジオに切り替えたのだが、それも耳にうざくなり、消した。調子が悪いのだろう。
 静かになった部屋で黙々とペンを走らせる。ペン先と紙とがこすれる音がする。
 その音の中に、別の音が入り込んで来た。いつも聞こえてくるエアコンの音や、アナログ時計の秒を刻む音ではない。また、遠くから聞こえて来る車のエンジン音でもない。あまり聞いたことのない音なのだ。
「笛」
 立花は、そう判断した。ピーと鳴っているためだ。それを笛と結び付ける理由はそれほどない。何となく笛ではないかと思ったのだ。そして、音色を奏でる演奏ではなく、呼び笛のように思えた。他にも色々解釈の仕様があるのに、そう感じたことが、実は妙な話なのだ。
 ピーの音は、たまにする。そして大きくなって来る。近付いて来ている。
「按摩」
 この連想も、立花の頭ではあまり関連付けにくいはずだ。按摩の笛など実際には聞いたことがない。さらに、通りを流す按摩など見たこともない。ただ、時代劇や小説では知っている。
 そして、立花が書いているイラストも小説の挿し絵なのだ。按摩は書いたことはないが、時代劇風な挿し絵は何度か書いている。ただしファンタジーものなので、考証は適当だが。
 笛の鳴る方角は表の通りだ。窓は裏に面しているので、覗いても見えない。
 立花はドアを開け、マンションの通路に出た。二階だ。そこから表の通りが見える。水銀灯がポツンポツンと煌めいている。
 人影が歩いている。車がたまに通る。
 その人影が笛の主。つまり按摩だろうか。
 ピーと、また聞こえる。立花は目を凝らして見つめる。確かに人影の腕が上がったように見える。笛を持つ手を口元まで上げたように。
 立花は一気に非常階段を下り、その人影まで走った。
 和服、着流しというのだろうか。頭は剃っているのか、丸坊主だ。目は閉じている。そして杖。どう見ても時代劇に出てきそうな按摩だ。
 按摩と至近距離にまで近付くが、按摩は反応しない。そして、ピーと笛を鳴らし、杖で前を確かめるように歩いている。立花はぶつかりそうになるので、さっと避ける。
 振り返ると按摩の後ろ姿。
「うーん」
 どう見ても、その按摩は物理的な存在で、路面をしっかりと歩いている。その体温まで感じられるほどだ。同一空間にいることは確かだ。
 立花は按摩に合わせてゆるりと後を付けた。たまにピーと鳴らす。
 しかし、そんなことをして、按摩を呼ぶ客がいるのだろうか。しかも深夜だ。普通なら客も寝ているだろう。それに流しの按摩など、今の時代、聞いたことがない。
 立花はしばらく尾行したが、変化はない。夜道をたまに通る車を避けながら歩いているだけだ。このままでは、按摩を襲う不審者と思われそうなので、引き返すことにした。
 そして、部屋に戻り、イラストの続きを書いた。さぼっている場合ではないのだ。
 そして、絵に集中し出すと、もう笛のことも按摩のことも、どこかへ行ってしまった。
 笛が聞こえ、按摩を尾行したことは、きっと現実のことではなかったのかもしれない。
 
   了

 



2013年7月20日

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