小説 川崎サイト

 

夕涼み

川崎ゆきお


 市街地を流れる川。それに沿って柳通りと地元の人が呼んでいる道路がある。距離は僅かだ。
 この通りは夏場だけ人気がある。
「おや、あなたもここをご存じで」
「偶然ですよ。いいところです」
「そうでしょ、今夜のような熱帯夜で風がないときでも、ここだけはあるんだなあ。不思議ですよ」
「そうなんです。お天気情報を見ると、無風ですよ。しかし、ここは……」
「きっと川風ですよ。不思議でも何でもありません。しかし、柳の枝が揺れているのを見ると、ほっとしますよ」
 柳通りは夕方から深夜にかけて涼みに来る人が結構いる。ただし、近所の人でないと、そこへ行くまでに汗をかいてしまう。そして、涼んでも帰るとき、また汗をかく。
「お宅、エアコンは」
「ありますがね。冷え過ぎるんですよ」
「うちは扇風機だけです。まあそれで昔からみんな夏を過ごして来たんですからねえ。ただ、今の家じゃ駄目ですよ。昔の家じゃないとそうはいきません。ただ、最近は背の高い家が多くなりましたからなあ。それが壁になり、往生していますよ」
「引っこ抜いてしまいたいほどですねえ」
「あまり大きな声で言っちゃ駄目ですよ。ここに引っ越した人も涼みに来ていますからね」
「そうですなあ。冬は防風林のように風除けになって感謝してます」
「そりゃいい」
「子供の頃はねえ、縁台将棋を見ました」
「ここでですか」
「滅多に車が入って来なかったんですよ。今は車道と歩道に分けられているでしょ。歩道に縁台じゃ歩行者の妨げになる」
「いいですなあ。団扇片手に将棋とは」
「あの団扇は扇ぐためもあるんですが、蚊除けですよ。刺されそうな腕とか足を常に叩いているんですよ」
「そりゃ忙しい」
「それが将棋ではリズムになっていいんだと、爺様が言ってましたねえ」
「何か、古きよき時代の話に聞こえます」
「もっと昔なら、裸で涼んでいたんでしょ」
「そりゃやりすぎだ」
「禁止になったからやめたんでしょうねえ」
「いつ頃の話ですか」
「御維新の頃じゃないですか」
「おっと、遅くなりました。もう戻る時間だ」
「はい、お休みなさい」
 風のない夕方から深夜、柳通りの柳が揺れるとき、夕涼みの幽霊が来ているとの噂がある。
 
   了



2013年8月22日

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