小説 川崎サイト

 

野球帽のカンガルー

川崎ゆきお


「おや、あの人は」
 富田は見覚えのある人が自転車で走っているのを見た。道幅が少しあり、お互いに反対側の歩道を走っているため、真横で交差することはない。
 小柄なカンガルーのような初老の男だ。頭には野球帽を被っている。
 富田がいつも行く大きな喫茶店へ向かっているときだ。
 その喫茶店に朝一番で来ているグループがある。その中のメンバーの中にカンガルーがいた。
 富田もよくこの喫茶店へ行くのだが、今日は昼前になった。だから、その集まりはもうお開きになったのだろう。それで、この小男も帰るところに違いない。
 小男の姿が近付く。やはりあのカンガルーだ。こんな所で見るので、最初は分からなかったが、もしかすると……が当たった。
 その集まりは多くて八人、少なくても四人ほどが午前に集まっている。富田は近くの席に着いたとき、漏れ聞こえることがある。人数が多いので、普通の喫茶店での会話より、声がでかい。空襲でB29を見たとかの話だ。それを話している人が最年長だと思われる。そういう昔話から、最近の市役所でのやりとりや、誰が、あの道路沿いに多くの土地を持っているかや、昔、駅前にあった映画館の話……等々。当然健康管理の話も多い。
 富田がその小男をよく覚えているのは、いつもいるためだ。出席率がいい。彼はリーダーではなさそうだが、彼の姿を見ると、いつもの、あの集まりだと分かる。この喫茶店での団体客は他にもある。だから、野球帽のカンガルーが目印となっていた。
 そして、この小男は最初から最後までいる。最後は二人になったりするのを富田は見たことがある。二人なので、もう集まりとは言いにくいが、あの小男がいることで、何処の団体かが分かる。
 だから、路上でも発見しやすかったのだ。当然自転車に乗っている姿は見たことはなかったが、普通のママチャリだった。
 時間的にも、あの集会が終わっている昼前なので、ぴたりと当てはまる。
 そして、小男の自転車はすれ違う手前で脇道に入った。そこは工場と工場の隙間で、よく知っている人にしか分からない抜け道なのだ。その向こう側に別の町並みがある。そちらには大通りがあり、賑やかな通りだ。そこに何棟もの高層市営住宅がある。
 富田は何となく、あの集まりが分かってきた。昔の市営住宅の連中なのだ。今は高層マンションのようになったが、住民は変わらない。そして、喫茶店での集まりは、まさに町内の集会所なのだ。あちらにも集会所はあるはずだが、禁煙なのかもしれない。
 そのメンバーの一人一人を尾行すれば、きっとあの高層市営住宅群に戻るのではないかと思われる。
 ただ、そこまで富田は確かめたわけではないし、その気もない。
 たとえ違っていても、特に問題はない。
 
   了



2013年8月29日

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