小説 川崎サイト

 

現代妖怪

川崎ゆきお


「どうですか最近、妖怪は」
 妖怪博士付きの編集者が様子伺いに来ている。
「相変わらずだ」
「あまり、進展はないと」
 妖怪博士は妖怪を研究しているのだが、その進展はないようだ。
「古い妖怪に関しては、先人が既に解説しておる。また、妖怪図鑑もあり、そこに一つや二つ足した程度では何ともならん」
「博士は現代妖怪に強いはずなんですが、そちらの方は如何でしょうか」
「如何か」
「はい」
「古を知ることで新しきを知るというのがある。ただ、妖怪に関してのことは、半ば冗談の場合が多い」
「はい」
「何がハイじゃ」
「相槌です」
「そんな鳴り物を打ってもらっても、続きはない」
「ああ」
「相槌と言っても、それは言葉であろう」
「はあ」
「いや、だから、槌じゃ。原型があったのだろうが、今では、頷いたりするとき、相槌を入れる。そういう道具を使うわけではないがな」
「槌って、何でしょう」
「杭を打ち込むときの木槌や鍛冶屋で使うあれだろう。交互に打つ。これは合いの手を入れるとかに通じるのじゃろうなあ。語原を調べたわけではないから、分からんが。しかし、木槌の妖怪はおる。これは道具が化けたものでな。妖怪と言うより、物の怪かな」
「ありますねえ。道具が化ける例は」
「実際にはないじゃろ」
「それを言っちゃ、身も蓋もないです。博士」
「その身も蓋もの蓋は、昔の蓋だろうなあ」
「なるほど、結構ビジュアル性が高かったんですねえ。僕は箱の蓋を思い浮かべましたが、その言葉、使っているときは、そんな映像はありませんでした。ところで蓋は分かりますが、身って何でしょう」
「君はそれでも編集者か。校正は大丈夫なのか。身とは中身のことじゃ。まあ、言葉のそうした、綾や語呂から、出てきた妖怪もおる」
「身が出るって、怖そうです。具が出てしまうような」
「古の物と、今の物とは言い方が違うが、用途は同じものが多い。だから、同じように妖怪化しておるかもしれんぞ」
「それが、現代妖怪ですね」
「古にあったパターンと同じパターンで妖怪が出ておるやもしれん」
「はい」
「しかし、それを妖怪だとは呼ばん」
「妖怪は出ているのに、妖怪だと気付かないのですね」
「それは、妖怪に持ち込めんようになったからじゃ。不審なことは狐狸妖怪の仕業にしていたような昔とは違う」
「難しそうな話ですねえ」
「要するに妖怪で括れなくなったので、妖怪が減ったのじゃ」
「でも、いると」
「不思議、不可解なことが起こったときはな」
「今なら、因果関係などが分かるんじゃないですか」
「因果が分かることは分かるが、分からんことは分からん」
「頭が痛くなりました」
「科学的分析というのが妖怪なのかもしれんぞ」
「たとえばデータなどがそうですか」
「そうそう。平均とかな」
「ありますねえ。平年並みとかも」
「それらは現実には存在したことが一度もない」
「でも、それを妖怪だと言いにくいですねえ」
「そうじゃろ。実際には出ておるのじゃが、妖怪とは言わん」
「今日は難しいです」
「まあ、妖怪は精霊として楽しむことが一番かもしれんのう」
「はい」
「精霊などおらんが、おるように感じる。これでいい」
「今日は疲れました。また来ます」
「うむ」
 
   了
 


2013年8月30日

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