小説 川崎サイト

 

旅行

川崎ゆきお


 毎日似たような暮らしぶりをしていると、たまに目先を変えたくなる。一番効果的なのは旅行だろう。目の前のものが一変する。特に行ったことのない場所では、脳が新規動画を書き出すように、作業ランプが付きっぱなしの状態になる。そのメカニズムはよく分からないが、いつもよりしっかりとものを見ているようだ。そこでは絵づらだけではなく、物事に対しての好奇心のようなものも大いに動いている。
 日常風景はちょっとした風景の変化だが、旅行ではごっそり変化する。これがいいのだろう。
 見聞を広めるというよりは違う絵が見たい、違う空気を吸いたいのかもしれない。
 高田もそれを期待して旅行に出たいのだが、行って帰って来た時のことまで考えると、やはり家が一番良かった、となりそうで、なかなか出る決心がつかない。これが何かの用事で、遠くへ行かなければならないとなると、大喜びだろう。ただ、その用事は軽いものに限られる。深刻な用事でなら、風景など見ているゆとりはない。
 それで高田は歩いてでも行ける町内探訪をしている。しかし、資源には限りがあり、もうこれといって見るべきものがない。ただ、それは旅行者気分で歩く場合だ。そんなお膳立てはなく、お客様待遇ではないため、自分で発見しないといけない。当然普通の町並みなので、観光スポットなどはない。
 ただ、長く更地で放置されていたような場所に、何やら基礎工事が入っているのを見ると、これは連ドラの世界になる。毎日少しずつ続きが見られる。旅行は一回限りのドラマだが、こちらは何度も続きを見に行ける。しかし、特別な物が建つわけではなく、町内なので、普通の家だろう。またはちょっとした店屋さんだ。
 高田はここで地味なことをしているのだが、大きな変化を求めて、違う絵を見るためにも旅行へは行きたいとは思っている。
 ただ、あまり旅行慣れしていないため、効率のいい場所を選ぼうとする。すると、なかなか見つからない。
 これはイメージの問題だろう。何となく、そこに立ってみたい。そこを歩いてみたいと、漠然と思う方がいいようだ。
 テレビを見ていると、そういう場所が多く出てくる。おそらく、その日のうちに旅行に出られるのなら、そこへ行くだろう。イメージが覚めないうちに。
 しかし、近所でも掘り起こしていくと、いろいろな側面や奥行きを見せてくれる。細く曲がりくねってはいるが、何処までも延びている小道がある。昔の村道だろう。高田はそれを由緒正しい道と呼んでいる。
 そこには旅行に出たときのビジュアルはないのだが、想像することで補う。昔、この道を村の童が夕焼けを見ながら家路を急いでいた絵だ。静止画ではなく動画だ。総天然色の。しかし、自分で動かさないといけないが。
 高田は、そんな探索をしながら、いつか旅行に行く日を楽しみにしている。
 
   了

  


2013年9月7日

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