小説 川崎サイト

 

酷暑

川崎ゆきお


「あれは今年の夏だったかなあ。いつもより暑かったねえ。そのとき見たんだが、あれは何だったのだろう」
「何か見られましたか」
「春頃から通っている図書館があってね、そこへ行くまでの道なんだが、出るんだな」
「神秘的なものが……ですか」
「いや、ただ単に歩いている人だ。あれは運動かもしれないなあ。私は自転車で通っていたんだけど、毎日すれ違っていた。春には見なかったかなあ」
「じゃ、それは夏に現れたのですか」
「いや、春にもいたかもしれない」
「でも春には見かけなかったのでしょ」
「夏は暑いでしょ。炎天下ですよ。ところが影がずっと続いている通りがあるんだ。私も夏前までは別の道を通っていたんだけど、あまりにも暑いので、日陰のある道に変えたんだよ。それからだな、見るようになったのは」
「それは運動で歩いている人でしょ」
「そうなんだが、スタイルがね」
「どのような?」
「日除けを考えてかなあ。真っ黒なんだ。真っ黒な短パンと、だぶっとした上着。帽子も黒い。帽子の後ろに網のような物を垂らしておる。南方の旧日本兵みたいにな。そしてサングラス。これは当然だな、黒い。しかも靴も靴下も黒い」
「はい」
「その帽子がカウボーイハットでね。西部劇みたいなんだ」
「特徴のある服装と言うことですね」
「中年の大男だが、そんなに太ってはおらん。それに平日の昼前なんだから、仕事はしていないようだ。よく見かけるのは年寄りが多い。しかし、まだ若いんだ。だから歩くテンポも早い。そのカウボーイと毎日すれ違っておった」
「何かのスポーツのためのトレーニングじゃありませんか」
「しかし、早いは早いが、年寄りよりは早いぐらいで、まあ、すたすた歩いている程度かな。その通りでは最速だ」
「その人と何かありましたか」
「いいや」
「何もないと」
「ところが今年の夏は暑かった。その日陰のある道でも自転車で走るのが辛くてねえ。空気がもう熱風のようで」
「そうなんですか」
「もの凄く暑い日があってね。その日も、あのカウボーイも歩いていた。しかし、その翌日、姿が見えなかったんだよ。さらにその翌日は、私も、これは暑くて無理だと思い、出掛けなくなった」
「それはどういう意味ですか」
「毎日すれ違っていたのに、特に暑かった日の翌日に姿を消した。これは暑さにやられたのかと思ったんだ」
「じゃ、きっとそうなんでしょうねえ」
「その後、私も通っていないから、どうなったのかは分からない」
「きっと、あなたと同じで、暑すぎて出られなくなったんでしょうねえ」
「そうなんだが、気になってねえ」
「きっと、その人も、あなたが通らなくなったので、気にしているかもしれませんよ」
「そうかなあ」
「暑かったですからねえ、酷暑でしたよ。今年の夏は。だから、出られなかっただけだと思います」
「そうだね」
 
   了


2013年9月8日

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