小説 川崎サイト

 

あらぬもの

川崎ゆきお


「あらぬものですか」
 妖怪博士付きの編集者が来ている。
「そうじゃ、あらぬものじゃ」
「あり得ないものですね」
「まあ妖怪も、そのあらぬものだが、それに限らぬ」
「あり得ないことが多いという意味ですか」
「あり得ないことは、あり得ない。だから、それは、そこでストップがかかるだろう」
「そうですねえ。あり得ないのだから、考えなくてもいいのですから」
「ところが、あらぬものは、その境界が曖昧だ」
 あり得ないものと、あらぬものとの違いを妖怪博士は語っているようなのだが、これは妖怪博士独自のあらぬ解釈のようだ。
「あらぬものは、想像してしまうということじゃ。そこがあり得ないものよりも緩い。まだ、あり得ないものとは言い切る前の状態じゃ。言葉の意味は同じでも、古い時代の言い回しと、今とでは違う。それゆえ、見えてくる世界も違うのじゃ」
「博士」
「何か」
「今の状態が、すでに分かりません。僕はどこに座っているのでしょうか」
「知らん」
「もう少しシャープにお願いします」
「これも録音しておるのかな」
「はい。取材ですから」
「妖怪は、あらぬものじゃ。あり得ないものではない」
「やはり同じように聞こえます」
「妖怪はあり得てもいいからじゃ」
「でも、いないのでしょ」
「一般的な意味ではな」
「じゃ、一般的ではない意味では、いるかもしれないと」
「そういうことじゃ、問いかけ位置の問題でな」
「そのあたりがややこしいですねえ。博士」
「あらぬものは妖怪に限らぬ。人はあらぬものを思い描きながら生きておる」
「そうなんですか」
「君は今、勤めている出版社の社長にはなれんだろう」
「あり得ません」
「しかし、金があると、なれるぞ。だから、不可能ではない。あり得ないことではない。じゃが、君の中ではあり得んことだろう。他の人にとってはあり得ることかもしれん」
「ああ、それが問いかけ位置によって違うという意味ですか」
「妖怪もそうだ。いると思っている人にはいる。いないと思っている人にはいない。しかし、まあ、どうでもいいことなので、妖怪はおることにした方が楽しいので、目くじらを立てて否定する必要はない」
「また、位置が分からなくなりました」
「己の立ち位置で決まる」
「いいかげんなものなのですね」
「良い加減という意味じゃ」
「加減するのですか」
「妖怪の場合は、加減が緩い」
「それで、妖怪はあり得ないものではなく、あらぬものなのですか。まだ、区別が付きません」
「そんなもの、付けんでもいい。ニュアンスじゃ、雰囲気じゃ」
「はい」
「あり得ないものは追いかけにくいが、あらぬものは追いかけやすい。むしろあり得るものよりも、あらぬものの方が追いかけやすいこともある。つまらぬもの、どうでもいいものほど追いかけやすい。妖怪もその口じゃ」
「今、この口で噛み砕いて聞いています。あとで聞き直しますが。きっと本来の言葉の意味とは違うような気がしますが……」
「人を引きつけるもの、それはあらぬもののことが結構多い」
「それはロマンチストの世界ですね」
「まあ、そうかもしれんのう」
「そういえば、ゆるキャラのように、いろいろ地域で、妖怪が出てきてますねえ」
「妖怪は幽霊ではなく、オバケだ。だから、愛嬌がある。ここに何かを託すのもよかろうて」
「そうですねえ。あり得ないものとしてなら、駄目ですが、あらぬものとしてなら、あってもいいんですよね」
「そんな感じじゃ」
 
   了
 




2013年10月21日

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