小説 川崎サイト

 

便所坊主

川崎ゆきお


「誰が思いついたんだろうねえ。そんなものを見て絵にしたわけじゃないだろうけど」
「何の話ですか」
「妖怪だよ」
「ああ、妖怪ですか」
「私の好きな妖怪がいてねえ」
「はい」
「按摩か坊主かは分からないんだが、顔に目がないんだよ。そのかわり、手の平に目玉が付いておる。左手に一つ。右手に一つ」
「ああ、見たことがあります」
「そうかい、それはいい。どこで見た」
「漫画のようなもので」
「私は古書店で見た」
「妖怪名までは覚えていません。ちらっと見ただけなので」
「私もだ。好きな妖怪と言いながら、一度ちらっと見ただけなのだがね、印象に残ったんだ。君はどう」
「覚えている程度です。先生から問われるまで、忘れていましたが」
「私の場合はね、その妖怪以前に坊主の妖怪がいるんだよ。これは妖怪じゃなく、坊主そのものだがね」
「じゃ、どうしてそのお坊さんが妖怪なんですか」
「いいことを聞くねえ」
「はい」
「実際に見たわけじゃない。いるような雰囲気だけでね」
「頭の中にいるわけですね」
「そうだね。想像してしまうだけのことなんだ。場所は便所でね。これは子供の頃からいる。実際には見たことはないんだがね。でもいるんだな。私が便所の戸を開けるまではね。開けると消える」
「はい」
「納得できるかね」
「ああ、何となくですが」
「これはねえ、昔の便所で、鍵が掛かるんだが、壊れていてねえ。ずっとそのままだった。私には兄がいてねえ。その兄が丸坊主だった」
「その兄さんがトイレに入ってたんでしょ」
「そうそう。大便をしていた。すぐに閉めた。しかし、その姿が妙でねえ。まあ、親兄弟でも、これは見せ合うものじゃないんだから、それこそ便所の秘密だよ」
「はい」
「その坊主頭だった兄のイメージがずっと残ったんだろうねえ。大人になってからも、便所を開けると、しゃがんでいる坊主がいるように思うようになったんだ」
「ああ、そうなんですか」
「それが、さっき言った妖怪と繋がるんだ」
「はい」
「私が見たのは兄だが、これに近いと」
「でも、その妖怪には目はないんでしょ」
「目じゃなく、手だよ」
「あ、はい」
「兄は便所を開けられて、両手が泳いでいた。手と言うより腕だね。閉めろと言いたいんだと思う。そのときの手振りだね。腕を突き出していた。兄の手の平には目はないがね。その両手の手振りが、あの妖怪に似ていたんだ。だから、古書店で見たとき、兄がいると思ったんだ」
「その後、どうなのですか。まだその妖怪、いますか」
「たまに思い出したとき、いるねえ。思い出さないと、いないけどね。まあ、いても、開けるといなくなるので、いるもいないもないのだけど」
「もし、いたらどうします」
「そんな妖怪が大便をしていたら、後頭部を手の平でぺちゃんと叩くさ」
「はあ、どうして後頭部を叩くのですか」
「坊主の後頭部を一度パチンと叩きたくてね。妖怪なら、いいだろ。叩いたって」
「はい」
「それに叩かれて目が飛び出すかもしれないしね」
「それはないと思いますが」
「そうだね。そうなると都合目玉は四つになる」
「しかし、先生」
「何かね」
「その、手の平に目玉のある妖怪って、不便ですよ。手の平ってよく使いますよ。そこに目玉があると、物を掴むとき痛いんじゃないですか。それに爪で目玉を突き刺しますよ」
「いやいや、あるアクションしかしない妖怪もいる。その妖怪の日常生活はないと思うぞ」
「ああ、なるほど」
「私は」
「何かね」
「似たようなトイレ体験があります」
「ほう、君もかね」
「先生と同じで、想像ですが」
「どんな」
「真っ白な大型犬がトイレで大便をしているのです」
「それはまた行儀のいい」
「これは、すぐに分かりました。昔、犬を飼っていたんです。散歩に連れて行くのが面倒なので、ついついさぼって……」
「散歩に出て用を足したかったんだろうねえ」
「それで、夢で見たんです。トイレでトイレをしている犬の」
「うんうん」
「犬が大をするとき、何だか悲しそうな顔をするじゃないですか。そして、恨めしそうにこちらを見ているんです。どうして散歩に連れて行ってくれなかったの……て顔で」
「なるほどね」
「その夢をよく思い出し、トイレのドアを開けると、その犬がいそうな気がしました。まあ、子供時代の話で、今はありませんが」
「まあ、よかったよ」
「夢でですか」
「いや、便所を開けると何かがいるって話がね。結構、そんな思い出のある人がいたんでね」
「いえいえ、聞かれなければ、思い出しもしないことですよ」
「そうだね。クソの役にも立たない話だからねえ」
「はい」
 
   了


2013年11月2日

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