小説 川崎サイト

 

故郷巡礼

川崎ゆきお


 下田は暇が出来たので、散歩に出た。散歩という行為を意識的にしている。普段はその辺を歩いたりはしない。だから散歩癖はない。散歩癖とは放浪癖に近い言い方だが、そんな気になったようだ。
 暇が出来た。これは良いことなのか悪いことなのか。下田にとっては悪いことなのだ。暗雲だ。それが立ち籠め始めている。暗雲は前兆。まだそれで雨が降ったり、強い風が吹いたりと、荒れる前の状態。暗雲がそのまま大人しく消えてくれることもある。
 しかし、下田は悪い方を考えた。しばしの休息ではなく、ずっと休みになるような不安感。つまり、仕事が切れる。
 散歩とは言いながら、下田は車で移動している。徒歩では遠くまでワープ出来ないためだ。これは散歩ではなくドライブなのだが、目的地が方々にあり、散っている。そこへ行くのが目的で、走っている気持ちよさが目的ではない。散歩でもドライブでもない。
 その散っている場所とは、思い出の地だ。生まれ育った場所や、通った小学校や、怖くて渡れなかった川に架かる橋や、よく連れて行ってもらった繁華街のある隣町の駅前等々。
 下田が住んでいる場所から、その故郷との距離はわずかだが、もう何年も寄っていない。用事がない。中学までいたが父親の転勤で引っ越した。
 この町は今や聖地のようになっている。手付かずの状態にし、手垢が付かないようにしている。手で触れるわけではないので、この場合足だが、足を踏み入れない。そっとしている。しかし、聖地なので精神的にしんどくなったとき、聖地巡礼に出掛ける。
 ここには氏神様があり、下田が生まれたときの宮参りの写真も残っている。
 この切り札のような場所を訪ねたいほど、苦しい状態になっているのだろう。ただ単に暗雲が出ているだけなのだが、これは確実に荒れると思っている。そのため、仕事方面での軌道修正が必要なのだ。または、転職だ。
 そして、下田は車で聖地である故郷の町に踏み込んだ。五年ぶりだろうか。景色が今風になっているのは承知の上だ。しかし、所々何十年前とそれほど変わらないものもある。神社や古木などだ。またすっかり様変わりしても、家から通った小学校までの道はそのまま残っている。
 下田は車で町をぐるぐる廻った。あそこはどうなっているのか、あそこはまだ残っているのか、などと次々と行きたい場所が増える。
 昔住んでいた家の前まで来た。近所の家は、ほとんど建て替えられている。これも承知の上だ。同級生が家を継いで住んでいるかもしれない。しかし、そういうリアルなものに出合う余裕はない。聖地巡礼でさまよっているのだから。しかとした訪問目的がないのだ。
 怖くて渡れなかった川の橋を渡る。何のこともない。ただ、車が通ると多少は揺れる。これが怖かったのだ。
 巡礼中、下田は自分自身の精神状態の変化を見る。まるで血圧や体温を測るように。
 それで分かったことは「平常」だった。つまり、こんなことをしている余裕がまだあるということだ。
 戻る途中、ファミレスでステーキを食べた。ステーキ専門店のような店なので、ステーキにした。
 それを食べると、肉を食べた野獣のように、満足を得た。
 そして、部屋に戻り、暗雲の続きを考えた。
「さて、どうするか」
 しかし、ステーキで胸焼けがしたのか、頭が良く回らなかった。安くて大きく分厚い肉だったが、脂身が多かったのだろう。それで我慢出来ず、横になった。
「苦しい、苦しい」と言いながら。
 
   了



2013年11月11日

小説 川崎サイト