小説 川崎サイト

 

いい季節

川崎ゆきお


「いい季節は短いねえ」
 郊外の幹線道路脇にある自販機でコーヒーを買っている老人が、青年に話しかける。
 青年はスーツ姿だ。彼も何か飲み物を買おうとしている。
「いいですか」と青年が季節の話題に乗らないで、投入口に早くお金を入れたいらしい。その場所に老人がまだ立っており、下側に落ちた缶がまだ残っている。早くそれを取り出し、去って欲しいのだろう。
 老人はそれに気付き、すぐに缶コーヒーを取り出し、横へ移動する。
「今年は秋になっても暑かったねえ」
 青年は何を買おうかとサンプルを見ている。
「そして、やっと凌ぎやすい秋が来たかと思うと、あっという間に冬だ。寒くなった」
 青年はブラックを狙っていたのだが、やはり甘みも欲しい。マイルド感も欲しいのでクリーム入りも欲しい。それで結局普通のコーヒーに決め、そのボタンを押した。
「秋で凌ぎやすかったんだが、台風が邪魔をしたねえ。いくつ来たんだろうねえ。どの台風がどれだったか、もう忘れてしまったよ。台風で雨ばかりだ。せっかくの秋の空がね」
 青年は缶コーヒーを取り出し、行こうとした。
「そして、台風が去ると、すごく寒い。冬だよ。いい時期は短い。過ごしやすい季節は短い」
「あのう」
「ん、何かね」
「行ってもいいですか、仕事なので」
「この近くで働いているのかね」
「その先のビルです」
「ああ、あそこのレンタルトランクルーム屋さんか」
「物置が必要なときはどうぞ」
「そうだね。用が出来たら借りるよ」
「その折はよろしく」
「しかし」
「はい」
「いい季節は短いねえ」
 老人はこの話に持ち込みたいらしい。
「仕事はオフィス内が多いですから、あまり外のお天気は影響しません」
「ああ、そうなんだ」
「じゃ、失礼します」
「私はねえ。こうして外に出て散歩をするのが仕事でねえ。だから、いい季節に歩きたいんだよね。しかし短い。これって、何か教訓になるでしょ」
「そうですねえ」
「人生いい時期は短い」
「では、また」
「行くかね」
 青年は歩き出した。
 老人は青年が話に乗ってこなかったので、やや不満だが、それはまあ当然のことだろうと、次の相手を探すことにした。
 その日、風が強く、後で分かったのだが、木枯らし一号だった。
 この老人、実はこの町を仕切っている大きな不動産屋の会長で……というのなら、いいのだが、ただの年金生活者だ。
 先ほど非常に雄弁になり、人に話しかけたのは、テンションが上がっていたためだ。それは何年ぶりかで自販機で缶コーヒーを買ったため。わずかな金額だが、年金だけの収入では贅沢品になる。
 その贅沢をやってしまった。これは散財に近い。それでテンションが上がったのだろう。
 普段は無口な老人だった。
 一方青年は、缶コーヒーを飲みながらレンタルトランクルーム会社のビルに入っていった。仕事に戻るのではなく、面接に来たのだ。
 
   了


2013年11月16日

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