小説 川崎サイト

 

初日の出

川崎ゆきお


「最近、朝焼けを見ますか」
「いいや」
「夕焼けは」
「いいや」
「私もですよ」
「朝日も夕日も、最近見てませんな。まあ、見事な朝焼け夕焼けを見られるのは希ですが、日の出、日の入りそのものを見ていないので、それ以前の話ですよ」
 天地異変が起こったわけでも、異常気象で雨ばかり降っているわけではない。しかし、それを見ないのには訳がある。
「私が外に出るのは朝食前で、秋頃はその時刻が日の出だった。今は真っ暗だ。それでも朝の散歩はやっております。朝日が出る頃は朝食を済ませ、テレビを見て過ごしています。だから日の出を直接見ることはありません」
「私と同じだ。夕食後もそれと同じです。食べたあと、私は散歩に出ます。もう暗い。日は沈みきってます」
「寂しいですなあ。あの名画のような空を見られなくなって」
「確かに名画ですが、あれはまあ、わざわざ見に行くようなものではないし……」
「ご尤もです。しかし、少し寂しいです」
「また、日の出が早く、日の入りが遅くなる季節になれば、嫌でも見られますよ」
「そうですなあ。春になれば、また見られますなあ」
「初詣はどうします?」
「初日の出はここしばらく見に行ってません。近所じゃ有難味がないので、若い頃は山に登り、そこから見ていましたよ。御来光です」
「私は海辺の観光地へよく行ってました。夫婦岩というのが岸近くにありまして、二つの岩に縄を渡しておりました。日の出を見る名所です。まあ、人が多いので、私は宿屋の欄干から見ておりました。これは景気のいい時代の話で、三年ほど続けたのですが、あの頃が一番いい時期でしたなあ。経済的にも」
「去年はどうされました」
「寒いですからな。いい場所で見るには努力が必要です」
「この近辺じゃ無理でしょうねえ。日の出は見られるけど、住宅地では雰囲気がねえ」
「自然の中で見たいですよ。海とか山とかで」
「はい」
「しかし、努力が必要です。そこへ行くまでがしんどい」
「はい、しんどいです。確かに」
「だから、まあ、初日の出は今年も無理ですよ」
「私もそうです」
「春になれば、いつも朝、散歩に出る時刻と日の出が重なることがあるはず。それを初日の出としますよ」
「ああ、それはいい。特に何もしなくても、見られる」
「そうです」
「朝夕の散歩に出られる身体でいられるだけでも、ありがたい話ですからなあ」
「出られなくなればどうします」
「布団の中から見ますよ。明け方ほんのり部屋も明るくなるはず。それを日の出として見ますよ」
「なるほど」
 寂しい話だが、その年代になると、案外気楽な話なのだろう。
 
   了




2013年12月15日

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