小説 川崎サイト

 

心の闇

川崎ゆきお


「心の闇とは何でしょう」
 妖怪博士付きの編集者が聞く。
「何じゃそれは」
「妖怪と関係しませんか?」
 妖怪博士は、少しだけ考えている。
「出ましたか」
「何が」
「心の闇と妖怪との関係です」
「何でもかんでも妖怪と結びつけるのは良くないぞ」
「妖怪談の幅を拡げたくて」
「そうか」
 妖怪博士は庭に降る雨を見ている。雨そのものは見えないのだが、庭木の葉が濡れ、艶が出ている。
「晴れがあるから雨がある。曇りもある」
「出来ましたか」
「今、考えておる最中じゃ」
「はい」
「光があるから闇がある。そういうことだな。これで終わりじゃ」
「もう少しお願いします。肉を付けて下さい」
「うーむ。だから、心の闇とは、こうあるべきものに対して、そうなっておらん時に発生するのかもしれんのう」
「曖昧ですねえ」
「夢や希望は光じゃろ。その反対側の状況におるとき、心は闇となる。闇なので、何かよく見えん。見通しが悪い。この闇をスクリーンにしてあらぬものが映し出される」
「よくある説明ですよ。妖怪博士」
「だから、闇が問題なのじゃない。昼に比べ、夜は悪い状態ではなかろう。暗いことは悪いことじゃない。晴れておらんことを天気が悪いと言うが、雨や曇りが悪いわけじゃない。ここを先ず押さえておくべきだな」
「はい、押さえました」
「妖怪は、この闇の中で発生する。まあ妖怪は人が作ったものなのでな、その人の心の闇のようなものが出る。これでいいだろう。この話は」
「もっと具体的で露骨な話になりませんか」
「露骨のう」
「妖怪はベタベタでしょ。もっと素朴な感じで」
「ぽろっと出たようなものだな」
「はい、もっと稚拙に」
「成せなかったこと、これは怨みになったりするのう。そうなると幽霊に近くなる」
「はい」
「妖怪は、もう少し単純で稚拙なものじゃ。子供の悪戯のようにな」
「すると、子供の心の闇が妖怪に近いと」
「ああそうじゃな、子供なので世間知らずじゃ。世の中のことをそれほど知っておらん。だから誤解も多いし、勘違いも多い。知らないのだからな。だから、大人の心の闇より、無茶なものを吐き出すことがある。時には滑稽なものをな。故に妖怪に近い」
「はい、何とか通りました」
「心の中の闇のように、心の中に妖怪がおる。その妖怪は子供の発想なんじゃ。大人も、この子供の発想で考える。だから、この闇は大人のものではない」
「混乱してきました。よく自己紹介なんかで、子供ような心を持っている大人ですと言うことがありますねえ。何人かから聞いたことがあります。心は子供だと。僕はそれが気に入らなかったのです。だって、逃げでしょ、それは。子供だから許してくれって感じじゃないですか」
「まあ、そう興奮するでない」
「はい」
「妖怪などに興味を持つのは子供心のおかげだ」
「じゃ、心の闇とは子供なんですかねえ」
「さあ、それは知らん。反対に大人かもしれんのう。闇として表に出さぬようにする。そうでないと面倒なことになるからのう」
「はい」
「だが、何かのきっかけで、漏れ出ることもあろう」
「あろうですか」
「そうじゃ。闇が漏れるのじゃ」
「あ、それは文学です」
「違うわい」
「はい」
「どちらにしても危険な領域でな、一歩間違える深淵に落ちる」
「いいですねえ。深淵に落ちる。これも文学ですよ博士」
「私は文学博士ではない。まあ、言葉の上での話で、そこから誘発される虚像が妖怪のようなものじゃ」
「博士も、何でもかんでも妖怪に持って行こうとしてますねえ」
「仕方があるまい、稼業なのでな」
「はい。しかし今日は抽象的すぎて、記事にはなりません」
「たまにはよかろう」
「はい」
 
   了


2014年1月15日

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