小説 川崎サイト

 

ご飯がない

川崎ゆきお


 作田は愕然とした。
 これはたまにあることで、そのときのショックはかなりある。命に関わることではなく、またひどい目に遭うようなことでもないが、あると思っていたものがないときの、何とも言えない間がある。それは日常内なのだが、ほんの少しだけ様子が違う。別の風景となる。
 風景といっても作田が見ているのはキッチンだ。冷蔵庫の上だ。そこに電気炊飯器がある。その蓋が開いている。先ほど作田が開けた。そして愕然となった。
「ご飯がない」
 作田は保温にしていない。一合半から二合までの米しか炊かない。一合で一日三食では足りない。一合半では軽く茶碗に一膳だ。夏場は食欲がないので、それでいけるが、冬場はカロリーが必要なのか、また食欲も増すので二合近く食べる。しかし二合では多い。そのため、二合近くだ。これはカップで米びつから入れるのだが、カップは一合だ。しっかり計って入れるわけではないので、一合に満たなかったり、山盛りになったりする。
 つまり、愕然となったのは三食目を食べてしまったのだ。それを忘れていた。あと一食分、茶碗に一杯分あると信じ切っていた。疑いがなかった。確かな自信があったわけではないが。
 そのいつもを狂わせたのは晩ご飯を外食で済ませたため。実はこのとき、既に炊飯器の中は空だった。
 米を洗うのが面倒になる日がある。それは月に数回だろうか。つまり、自炊でいつものものを食べるのが何となく気が進まないときがある。少し目先を変えたい、変化が欲しい。たまには人が作ったものを食べてみたい。そういった思いがたまに訪れる。昨晩はその当番日のようなものだった。
 それで、八宝菜定食を食べた。八種類の野菜が入っていたかは疑問だが、それら食材を自分で揃えるのは困難だ。集めることは出来ても、余るだろう。ここが外食の良さだ。
 その晩、外食から帰り、寝る前、炊飯器の確認をしなかった。残っている飯だ。これは残飯ではないが、冷やご飯だ。蓋をしている。中は見えない。また、保温をしていないので、ランプが目印にならない。
 保温しないのはご飯に湯気が付き、ご飯を濡らすためだ。そこだけお粥のようになっている。これが嫌なので保温はしない。それに変に乾燥したようなご飯になる。
 その朝、作田は朝食の用意をしていた。味噌汁を作り、シャケも焼いた。さあ、食べようと茶碗を持ち、炊飯器の蓋を開けたとき、その様だった。
「ご飯がない」
 この種の経験を何度かやっている。すぐにコンビニへ走り、パンかおむすびを買ったこともあるが、やはりいつものご飯粒がいい。自分で水加減した柔らかいご飯粒がいい。それに勝てるのは赤飯で、これは別枠となり、その食感はご飯を越えている。ただ、コンビニの赤飯おむすびは駄目だ。スーパー自製の赤飯に限られる。朝が早いため、そのスーパーはまだ開いていない。それに季節は真冬、寒いので、出たくない。
 作田はそこで思い出した。正月の餅が残っていることを。これを味噌汁の中に追加で入れれば雑煮になる。
 ただ、この餅は安いためか、焼いても芯が残る。煮込んでもなかなか柔らかくならない。飴のように溶けてしまうのだが、芯がまだ残る。これは扱いにくい餅だった。
 作田は柔らかい飯が好きなように、柔らかい餅が好きだった。それに硬い餅は噛むのに時間がかかり、これを省略すると餅を喉に詰める可能性が高い。
 しかし、ご飯がないアクシデントを餅があったことで、見事解決したと、作田は喜んだ。
 ある日、このことを作田は友人に語り始めたのだが、その序の口で話題を変えられた。遮られたのだ。それを不満に思い、この思いをブログに書いた。そして書き終えたとき、落ちがないことに気付いた。
 しかし、作田のブログは誰も読んでいないので、問題はなかった。
 
   了



2014年1月21日

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