小説 川崎サイト

 

丑宮旅館

川崎ゆきお



 下田は一人でバイクで旅行をしていた。区切りのいいところで宿をとろうと思っていたのだが、夕方前に山中に入り込んでしまう。お寺への案内板を見たので、少し寄って見ようと枝道に入ったのだ。
 しかし、寺は見当たらず、もう少し先かと進むうちに、通り過ぎたようだと悟る。しかし狭い道だが景色がいい。もう少し走ってみようと思い、区切りを探した。
 ここまで入り込んだのだから、何かを見て戻りたかったのだが、徐々に寂しい林道となる。暗くなり始め、樹木の中、谷の底を走っているため、心細くなってきた。
 山はさらに深くなり、当然だが、ガソリンスタンドも店屋も見当たらない。
 下田は薄暗い中、地図を見る。林道は細々と続いているが、大きな道へ抜けるには、かなり距離があることを知る。町に出るのは夜中になってしまいそうだ。
 幸い良い季節なので、野宿してもかまわないと思いながら、先へ進んだ。寝袋ぐらいは用意しているので。
 諦めかけた頃、明かりを見た。宿屋があるのだ。その看板に小さく「旅館」とだけ書かれていた。
 その下に枝道がある。きっとその奥だと思い、下田は左折した。非常に狭い道で、未舗装だ。さらに進むと緩い下りとなり、両側の山が迫ってくる。下田は道が途切れるのではないかと心配していたとき、また旅館と書かれただけの看板が目に入った。
 枝道に入る前に見た看板と同じものだ。近付くと崖の下に木造二階建てがある。建物はそれだけで、これが旅館だろう。窓からも明かりが漏れている。山中の一軒家だ。まだ周囲は明るく、暗闇ではない。
 下田は温泉でも湧いているのだろうと思いながら、玄関脇までバイクを走らせ、結構広い庭に止めた。他府県ナンバーの車が数台止まっている。
 玄関戸を開けると受付のような小部屋があるが、誰もいない。しかし電気は点いている。
「今晩は」と、下田は普通に呼ぶ。靴脱ぎ場に下駄が並んでいる。銭湯の下駄箱のようなものがあり、扉はなく、客らしい靴が何足かある。
「お客さんですかな」黒と白まばらな胡麻塩の無精髭を顔一杯に生やした小太りの小男が出て来た。頭は白くない。 
「女将さん、お客さんだよー」と、胡麻塩は階段の上に向かって大きな声で呼ぶ」
「はーい」と、上から声が聞こえる。
「夕食はこちらで」
「はい」
「じゃ、一膳追加だね」
「はい」
「じゃ、あたしはこれで、女将さん、すぐに来るから」
「はい」
 胡麻塩無精髭と入れ替わるようにして、姫達磨のような女将がミシミシ音を立てながら階段を降りてきた。
「あ、いらっしゃい。お泊まりですね。二階の桔梗の間が開いてますから、そちらへどうぞ。突き当たりの左の部屋ですよ」
「あのう、バイク、玄関脇に置いているのですが、いいですか」
「はいはい」
   ★
 日は暮れている。
 下宿屋のような桔梗の間でお茶を飲み、煙草をくゆらせながら下田は思案中だ。
「ここは何処だろう」と。
 旅館には違いない。しかも普通の。
 しかし場所はどうなんだろう。夕食前にお湯を聞かれたが、そのとき聞き返した。「温泉か」と。しかし外れた。普通の風呂なのだ。温泉地ではない。だから、観光地ではないのに観光旅館がある。
 駅前や町、あるいは村の中心部にあれば、それなりに意味はある。しかし、ここは僻地だ。山奥へ向かう細い道の、さらに枝道にひっそりとある。
   ★
「出来ましたので」と、声が聞こえる。胡麻塩だ。廊下から声だけで知らせているようだ。
「出来ましたので」
「出来ましたので」と、都合四回ほど聞こえた。客が複数いるようだと、このとき下田は知った。客室が幾つあるのかは分からないが、十室もないだろう。
 この「出来ましたので」は夕食のようで、支度が調いましたと言うことだろう。それはあらかじめ聞いていた。「食事は下で」と。
 下田は階段を降りた。
   ★
 十畳の間にお膳が並んでいる。その横の四畳半にもお膳がある。客は下田も入れて七人。親子連れと夫婦がいる。これも普通だ。特に変わった人はいない。
「女将さん、吸い物を早く」と胡麻塩。
「はいはい」
 奥から女将さんがお椀を運んでくる。
「これはねえ、熱いうちがいいですからねえ。ぎりぎり間に合うようににね。温めましたのですよ」
「女将さん、余計なこと言わないで、早く早く」
 客はもう食べている。
 親子連れはお婆さんと息子。もう一組は中年夫婦。お一人様は紳士風な老人と、やや年を取った女性と下田。
 全員静かに食べている。まるで人の家の通夜のように。
 当然下田も黙ったままだ。
「えーと、細川様は十一時からでよろしかったですかね」胡麻塩がお一人様の老人に言う。
 老紳士が頷く。
「待ち時間が何でしたら、早くしますが、遅い目の方がよろしいかと思います」と、胡麻塩。
 細川老人は少し考えていたが「十一時で結構です」と返答する。
「お休みになられてお待ちの場合は、起こしに参りますが」
「はい、そのときは起こしに来て下さい」
「はい、了解しました」
 下田は何かよく分からない。誰かに聞けばいいのだが、そんなことも知らないで、ここに来たのかと思われるだろう。むしろ、そのことをしに来たはずなのだ。……と考えても下田には見当が付かない。旅館があったので泊まりに来たのだ。それ以外の目的はない。
 ここの客は夜に行われるイベントのようなものに参加するため来たのだとすれば、メインは温泉でも料理でも宿泊でもない。その証拠に温泉は湧いていないし、料理も大したことはない。
「下田様」胡麻塩が下田の後ろに座る。
「はい」
「下田様は十時ということでお願いします」
「あ、はい」
「起きていますよね。その時間は」
「はい、まだ早いですから」
「降りて来られない場合は、起こしに上がります。この部屋へ十時前にお願いします」
「あのう」下田は聞こうとした。
「僕が最初なのですか」
「最後にも出来ますが、かなり遅くなりますよ」
「何時ですか」
「さあ、四時頃でしょうか」
「じゃ、十時でいいです」
「はい、了解しました」
「あのう」
「はい」
「何か準備は」
「あとでお部屋に伺います」
   ★
 夕食後、しばらくすると胡麻塩が下田の部屋に来た。
「飛び込みでしたねえ。下田様は」
「はい」
「じゃ、写真などはお持ちでない」
「写真をどうかするのですか」
「絵を画きますので」
「絵」
「はい」
「写真を見ながら絵を画くのですか」
「なければ想像で画きますが」
 果たして何に使う絵なのか、想像出来ない。聞けば分かるのだが、もしそれを言えば大変なことになるのではと、下田は用心している。
「絵は誰が画くのですか」当たり障りのない質問をする。
「あたしです」
「あなた、画家さんですか」
「違います。まあ、適当ですよ。どうせ破れてしまいますから」
 ここに大きなヒントが隠されていると下田は感じた。
   ★
「その絵は何だったの」金沢が聞く。
 旅行から戻った下田は、旅館の一件を友人の金沢に話した。
「それは宿泊料の中に入っていたんだ。大した絵じゃない。輪郭だけの軽く画いた絵だ。十分もあれば画けそうなね。しかも下書きが最初からしてあった。福笑いのようにね。大まかな顔の輪郭がうっすらと画かれていたよ。人相の絵のような」
「人相の絵って?」
「人相を見る人の教科書のような絵だよ」
「その絵、見せてよ」
「ない」
「持って帰らなかったの」
「ああ、そんな人はいないみたい」
「詳しく話してくれよ。何があったんだ。その旅館で」
「一番遅く着いた僕が一番というのが妙だった。もしくは最後になるってのも。最後は分かるけど、一番はない。これが変だった」
「それだけじゃ意味が分からないよ」
「あとで細川という老紳士から聞いたんだが、予約順らしい。僕は飛び込みだったことになる。予約の早かったのは夫婦連れで、この組が一番だ。しかし、僕が一番なのはおかしい。これはさっき言ったね」
「回りくどいなあ。早く説明してよ」
「つまり、予約で良い時間帯を取ったのがこの夫婦なんだ。その時間帯が一番いいらしい。それに近い時間帯はまだいいが、離れると薄くなるとか。だから、僕が一番か最後かだったのは悪い席しか残っていないようなものだ。これで、説明が付いた」
「全体の説明がまだだよ。何をしたの、その旅館で」
「旅館は宿泊と食事とお風呂だけ。普通だね。あとは絵を画いてもらったことかな」
「じゃ、そのイベントのようなものは外で」
「うん」
「何処? そこは山の中の何もないところだろ」
「旅館の裏はもう崖で、その先も山ばかり。着いたのが夕方だったから、よく見えなかったけどね。その崖の上に建物があるんだ。これは帰るとき、はっきりと見えたよ。あそこまで十時過ぎに登ったことを。かなり険しかったよ。道なんてない。でも岩がごつごつしていてね。掴むところがあったので、意外と簡単に登れたけど、年寄りにはきつかったもしれないなあ。それに暗い。胡麻塩の人が懐中電灯で照らしてくれたんだけど、あれは危険だよ。しかしそれがいいんだって」
「え、いいのかい。それが」
「らしい」
「その建物は何だい」
「稲荷山と昔は言われていたらしい。崖の上に平らな部分があってね。鬼の舞台とか天狗の腰掛けとか言われていた場所らしい。そこにお稲荷さんがあったようなんだけど、かなり前に消えたとか。何でも土地の人が山入りの時、それを遠くから拝んでいたとか。守り神かな。今も山道は残っているようだけど。車が通れないので林道としては駄目とか」
「山入りって、山仕事で山に入ることかい」
「そうそう。今はもう植林もほったらかしらしいよ。そしてもうお稲荷さんも放置されたんだろうねえ。そこに掘っ立て小屋のようなものがあった。簡単な小屋だよ。人が住む場所じゃないから、それでいいんだろうけどね。下から見た感じでは、納屋だよ。物置だよ。だから、山仕事の時の道具なんかを仕舞っておく場所に見えた。しかし、山道から外れているので、意味はないんだけどね」
「長い説明だけど、何があったの、君もその崖をよじ登って小屋へ行ったのかい」
「ああ、行った。そこで全てが分かったよ。時間帯も、その絵も」
「ほう、話してよ。手短に」
「中は蝋燭で明るい。顔を画いた絵を奥の板壁に貼り、それを矢で射る」
「えっ」
「弓はおもちゃのように小さいけど、矢は本物、当たると怪我するほど。まあ、小屋の奥には誰もいないから安全だけどね。胡麻塩は案内人。中に変な格好をした人がいる。旅館の主人らしい。この夫婦で旅館をやっていて、胡麻塩は主人の親戚とか。あと、朝になると、通いの婆さんが手伝いに来る。徹夜だからね、胡麻塩と神主のような主人は」
「神主かい」
「違う。でも服装は似ている。でも男巫女のような感じかな。白塗りして頬や瞼に紅を差している。巫女衣装で上が白く下が赤い。前の合わせが逆だ。あれは死んだ人の着方だよ。それを着てる。この人は元お寺の住職だったらしい」
「妖しいねえ」
「矢は何本でも射れる。気に入るまで射れる。絵が大きいから外れることは少ない。近いしね。額や目玉、鼻、そんなところに当たる。上手く刺さらないけどね」
「怖いなあ」
「これで、何をやっているのか、分かっただろ」
「神主は何をやるの」
「男巫女は鈴を付けてる。だから動くと音がする。変な舞をしながら変な歌を歌っていたよ。お経でも祝詞でもない。それで、矢を射るときに、一段とテンションを上げていた」
「怖いねえ」
「さらに藁人形に針を何本も突き刺す。藁人形は何体でもいい。何個でもいい。針には丸いものが付いているので、まち針だろうねえ。それでぐさぐさ突き刺された藁人形が何体か下に転んでいる。今までの分だろうねえ。僕は一体だけにしてまち針を五本ほど突き刺して、叩き付けた」
「見えて来たよ」
「次はとどめだね。これは山刀で、矢の刺さった顔にとどめを刺すように、切り刻む。まあ、紙だから、簡単にびりびりになるよ。もう絵は原型を残していない。だから、持ち帰れなかったんだよ」
「このコースで一時間。早く予約していた夫婦は二時過ぎに来る。この時間が一番効果があるとかで、人気があるので、予約が大変らしいよ」
「つまり、丑三つ時に」
「うん、その小屋のことを丑宮と呼んでいた」
「呪詛だね」
「呪い殺したいほどの人がいるんだろうねえ。上手く行けば完全犯罪だけど、まあ、無理だと思う。呪詛で死んだ人はいないと思うよ。ただ、その行為を禁じていた時代もあったらしい」
「怖い怖い」
「老紳士の細川さんは、小泉という人の写真を持ってきていたよ。胡麻塩さんが上手く画いていた。慣れもあるんだろけど、この人、画才がないだけに、逆に絵が怖い。デッサンの狂いが怖い」
「ちなみに、下田君は誰の顔を画いてもらったの」
「君のだよ」
「え」
「どうせ冗談だからね」
「君が丑宮へ登ったのはいつだった」
「だから、昨日帰って来たから、二日前の十時過ぎだよ」
「そのときか、右の目の上と、鼻の左下が痛かったのを覚えてる」
「あ、そこに当たったかな。矢が」
「今度は違う人にしてね」
「ああ、悪かった。そうするよ」
 
   了





2014年2月16日

小説 川崎サイト