小説 川崎サイト

 

経験から学ぶこと

川崎ゆきお



「昔の記憶とね、今の出来事とが重なることがあるんだ」
「長年経験を積んでこられたので」
「いや、若い頃からだ。子供の頃からな」
「そうなんですか」
「以前にも似たようなことがあったなあ、と思いながら、今のことにあたっておる」
「そこに先生の知恵の源泉があるのですね」
「わしは湯元か」
「いえいえ」
「これはねえ、同じ筋だから、以前と同じように処理すればいいということではない」
「はい」
「ただ、重ねながら、頭の隅に入れる。頭の中に目があってねえ、ちらっちらっと、それを見ながら考える」
「昔の経験が参考になるわけですね」
「くどいが、それは子供の頃からなのでね、昔と言ってもそんなに古いことじゃない」
「要は経験に照らし併せて物事を判断すると」
「それは違うかもしれんなあ」
「はて」
「それなら年寄りは全員知恵者だろ」
「実際そうでしょ」
「止まってしまった人もおるだろ。そちらの方が多いぞ。何故かというと、もう面倒になったからだ。いちいち考えるのが」
「でも経験は大事でしょ」
「わしが言う経験を参照にすると言うのは、そういうことではない」
「ではどう言う」
「言う限りは筋がある。お話がある」
「ストーリーですね」
「しかし、そういう物語ではなく、印象なんだなあ」
「はあ」
「印象にはさほど論理はない。ただ思い付いただけでな」
「それは何でしょう。どの辺りのお話になりますか」
「経験ではなく印象なんだな」
「過去の印象ですね」
「過去と言うほど古くはない。昨日のことでも、一時間ほどの前も加わる」
「昨日なら、年齢に関係なく、それは経験してますねえ」
「だから経験ではないと言ってるだろ」
「はい」
「その印象とはね、パターンであり、リズムであり、テンポでもある。また臭いでもあり、肌触りでもあり、空気感でもある」
「抽象的ですねえ」
「いや、すごく具体的だよ、君」
「しかし、先生、それは」
「そう。本人にしか分からん」
「ああ」
「勘が働くとはそのことなんだな」
「それは伝授不可能なのですね」
「だから、君に伝えても、無駄なんだ」
「じゃ、僕も聞いても分からないと」
「そうだね」
「それは勘の良さですか」
「さあ、そこまで考察したことはないがね、これは止めが入るんだ」
「止めとは」
「うん、そうだね、きな臭さと胡散臭さの間ようなものが脳裏に出る。映像じゃないよ。脳裏でそんなもの見ているわけじゃない。たまには出るがね。昔見た蛸とかね」
「では、昔の記憶が重なるとは」
「絵のように重なるわけじゃない。物事にもよるが、それが臭いであったりする。ああ、またあの同じ臭いが来ているなあ、と」
「それを参考にするわけですね」
「それはねえ、以前はそのとき、こうして解決した。だから、そのときと同じ動きをしよう。などという単純なことだといいんだがね。そうじゃない。あくまでも参照、参考程度だな」
「では、あまり実用性はないと」
「まあ、自分が今何処にいるのかが分かる程度かね」
「はい、分かりました」
「解答など転がっていないからね、君」
「肝に銘じます」
「どの肝だ」
「はあ」
「肝臓か」
「あ、いえ、別に」
「そうか」
 
   了



2014年3月12日

小説 川崎サイト