小説 川崎サイト



はいはい

川崎ゆきお



 一つのことばかりやっていると全体が見えなくなる。ありがちなことだ。須山はそれを意識していたが、どうしても治らない。
 一つのことに集中していると、その一つも決して小さなものではない。さらに細かい箇所があり、そこへ降りて行くとまた細部が見え出す。
 奥へ奥へと掘り進む感じで、その間も無数の一つのことがある。
「全体を見ないとね」
 師匠でもある年配の先輩が口癖のように須山に注意を与える。
「どのあたりが全体なのでしょうか? まさかこの工場のすべてが全体なのかしら……」
「そこまで大きく見なくてもかまわないけど、それも含まれていることは確かだ。私らはこの工場で働いて給料をもらっているわけだからね」
「工場のことも頭に入れて作業するわけですか?」
「意識しなくても入っているものだよ」
「それがコツなんですね」
「そういうことだ」
「では、昼の定食は何か……とかは?」
「それは雑念だね」
「なるほど」
「納期が近付いているとやや急がないといけない。これが全体だよ。簡単でしょ」
「なるほど」
 昼休みになった。工場の食堂で須山は定食を食べる。主任が言う雑念ではミックスフライ定食を予想していたのだが、おでん定食だった。これは外れても仕事には支障がない。まさに雑念で、メインではない。
「違ってました」
 後から横に来た主任の顔を見るなり須田が言う。
「それは残念だな。おでんは嫌いかい」
「ジャガイモが入ってません。いつも入っているんですよ」
「そうだったか」
「ジャガイモの代わりにコンニャクが入ってます」
「コンニャクはいつも入ってなかったかね」
「厚揚げのときとコンニャクのときとがあるんです。ジャガイモはいつも入っていたんですよ。凄い変化です。何かあったのかもしれませんよ。こんな事態初めてです」
 長くいる主任もそこまで記憶していない。
「異変の前兆かもしれませんよ主任」
「大袈裟だなあ。ジャガイモもコンニャクも似たような値段でしょ」
「こういう細部に最初の変化が現れるのです」
「面白いねえ須山君は」
「僕は真面目に報告しているのですよ」
「はいはい」
「このチクワも以前は焼きチクワでした」
「はいはい」
 
   了
 
 



          2006年12月7日
 

 

 

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