小説 川崎サイト

 

出入り口のない喫茶店

川崎ゆきお



「ちょいとお聞きしたいことがありましてなあ」
 おしぼりで顔を拭きながら、河野がいきなり本題を語りだした。
 妖怪博士はアイスコーヒーを注文し、それを聞いている。
「キツネに化かされたような話なら、博士が得意と聞いたものでな。お呼びしたわけじゃ。まあ、家が散らかってまして、隣近所の目もありますのでな。喫茶店でお話したいと思いまして」
「はい」
「何か注文されましたかなあ」
「はい、注文しました」
「煙草を吸ってもよろしいでしょうかなあ」
「はい、結構です。私も吸いますので」
「はい」
「それで、どんなお話しですか」
「よくぞ聞いてくれました」
「いやいや、あなたがお金を出して、私を呼んだのですよ。当然お聞きします」
「喫茶店の話なのですがな、ないのです」
「ないとは、潰れたのですか」
「あります。店内は普通です」
「じゃ、何がないのですか」
「出入り口が」
「はあ」
「だから、出入り口がないのです」
「では河野さんはどうやって入られたのですか」
「さあ」
「さあではないですね」
「ああ、さいなー、それなのです」
「何処の喫茶店ですか」
「夢の中の店ではありませんぞ」
「はい、何処ですか」
「U町のど真ん中です」
「大都会ですよ。そのど真ん中にある喫茶店の出入り口がないのですか」
「はい」
「でも、河野さんはこうして、ここにおられる。だから、出られたのでしょ」
「何処から」
「だから、喫茶店からですよ」
「ああ、そうです。何処をどう通って出たのか分かりませんがな」
「コーヒーが遅いですね」
「今、持ってくるようです。向こうから店員さんが」
「ああ、来ました来ました」
 運ばれてきたアイスコーヒーに妖怪博士はストローを落とす。
「出られたのはいいですが、どうして入られたのですか」
「いつの間にか入っていました」
「野山の隠し家のようなものでしょうか」
「ああ、それそれ、そんな感じです。いきなりそんな長者屋敷のような喫茶店が現れたのです」
 妖怪博士は過去にも、町中でこの種の隠し屋を体験した老人と出合ったことがある。この河野さんも、それかもしれないと思った。だから、もう適当に聞き役に徹するしかない。
「どんな建物でした」
「いきなり中なんです」
「ほう」
「豪華な喫茶店でしてねえ。分厚い絨毯だし、テーブルとテーブルの間隔も広い」
「その店はご存じの?」
「いや、初めてです。ここにそんな喫茶店など、昔からなかったと私は記憶しております。若い頃からこの町に来ていますからね。喫茶店は殆ど知っています。昔は商談でよく使いましたから」
「知らない店の中にいきなりおられたと」
「まあ適当に座り、コーヒーを注文しました。ちょうど喫茶店で休憩したかったですし」
「店の様子はどうでした」
「昔はこのタイプ、大使館喫茶と呼んでいました」
「豪華なんですね」
「はい」
「客層は」
「普通です。ご婦人方がケーキを食べていたり、ノートパソコンを見ている人や、会社の人でしょうか、楽しそうに話し込んでいました。」
「今の時代ですね」
「はい」
「それで、どうなりました」
「何が」
「だから、その中で」
「何も、特に何もありませなんだ。ところがレジでお金を払い、出ようとしたのですが、出口がないのですよ」
「そんなバカな」
「レジ近くにそれらしき戸がありませなんだ。そうすると、ここの客は全員閉じ込められておるようになるのですがな、そんな気配は客の様子では窺えない。そしてなあ、出口を探すため鉢植えの後ろ側を覗いたりしたが、ありゃせん。まさかと思いトイレを開けました。店のドアではないかと思ったものでな。まあ、紳士淑女の絵が描かれているので、トイレだとは分かっておりましたが、万が一と思いまして。トイレは広く、手洗いの鏡も立派な木枠でなあ。そしてさらに万が一と思いまして、大便所のドアも開けました。ドアというドアを片っ端から開けました。開かないドアもありましたが、ノックが返ってきました」
「はい」
「ここではないと思いましてな。私はトイレから出て、壁際を歩き、従業員専用ドアというのを開けようとしましたが、ロックされていました」
「はい」
「次はですなあ」
「何でしょう」
「物置でしょうなあ。掃除用具などを入れておく部屋でしょ。それを開けました」
「開きましたか」
「はい、おかげさまで、きっと貴重品などが入っていないためでしょうなあ」
「はい、次は」
「えーと、次は、エアコンの戸のようなものを開けました。さらに壁際を進むと、仕切りがありまして、その隙間に入り込みました。体を横にしないと通れないような狭さです」
「それは何でしょうか、河野さん」
「正解でした。奥まで続くアミダクジでした」
「ほう」
「その狭い通路というか、余地ですなあ。それが結構続いていましたが、薄暗くなり、やがて、暗く」
「ほう」妖怪博士は感心するしかない。
「さらに進むと、明るくなり、壁の色も材質も違ってきました。先を見ると明るい。人が横切るのが見えます。大きな通りでしょうなあ。私は支流から本流に合流しました」
「その場所、もう一度行けますか」
「行きましたとも、探しに。しかし、ありませんでした。だから、キツネに化かされたと思い、博士にお話ししたくて今日このときまで誰にも言わずに留め置いたのです」
「はい」
「やはり、キツネの仕業でしょうか」
「大都会のど真ん中にキツネなどいるとは思われませんが、お稲荷さんはあるでしょ。ビルの屋上とかに」
「やはりキツネの仕業なのでしょうかな」
「はい河野さん。きっとそうだと思います。祭っていたキツネの祠が取り壊されたり、放置して、荒れ放題にでもなったのでしょう。昔から大都会だった訳ではなく、その前はこの町、梅畑だったと言いますからねえ」
「それは聞いたことがあります」
「だから、大都会にもキツネはいるのです。本物ではなく、お稲荷さんですがね」
「捨てられたお稲荷さんが悪さをしたのでしょうかな」
「はい、その通り」
「ああ、これですっきりしましたわ」
 妖怪博士は礼金を受け取り、河野とは喫茶店前で分かれた。
 そして、駅の改札で切符を買うとき、そっと内ポケットから封筒を取り出した。
 封を開けると、中に木の葉でも入っていると大変だ。何となくその予感がした。
 そして、そっと中を覗いてみた。
 
   了

 

 


2014年3月21日

小説 川崎サイト