小説 川崎サイト

 

心霊写真鑑定家

川崎ゆきお



 妖怪博士は心霊写真家と一緒になる機会を得た。同じ雑誌で仕事をしているため、編集者が引き合わせたのだ。
「妖怪が写っている写真はありませんよ」
 心霊写真家は妖怪博士のことを知っており、真っ先にそう切り出した。
「いやいや、妖怪を探してここに来たのではありません」
 そこは心霊写真家のオフィスで、古いカメラが展示品のように並んでいる。妖怪博士はそれを見ている。
「ああ、これらクラシックカメラは、まあ飾りですよ」
「幽霊が写る写真機はありますかな」
「ハハハ、ありませんよ博士」
「ああ、なるほど」
「僕は心霊写真を写す側じゃなく、鑑定する側です」
「それなりに需要がありますかな」
「増えましたねえ。不思議と」
「ほう」
「特にケーターやスマホですか、あれで写した中に多いです」
「それは、どういう意味でしょうや」
「フィルム時代からデジタルになってから増えたと見るべきだと思います」
「それはどういう意味で」妖怪博士はさらに重ねる。
「電気になったからでしょうなあ」
「はあ」
「電気と霊との相性がよろしいようで」
「そうなんですか」
「物理的な仕掛けの機械、歯車やゼンマイで作られたものより、電化製品のほうが柔らかいので、霊は弄りやすいのかもしれません」
「それで、どんなものが写っているのですか」
「僕のところに持ち込まれる写真はトリックが多いです。これは昔から変わっていません。次が偶然そう見えるような感じですねえ。木の葉の重なりとか、まあ、背景がぼけているような写真でして、その背景に形がはっきり見えているとかです。これは模様のようなものですね。それは心霊写真ではありません」
「記念写真で、いなかった人が写っているとかは」
「ああ、ありますよ」
「それは何でしょう」
「これを私は心霊写真と呼んでいますが、まあ、鑑定を受ければ、それを心霊物として認めていますが。たとえインチキでもね」
「そんなことをしないような人が写した場合はどうですかな」
「当然、心霊写真です」
「否定はされないと」
「はい、そうです。でないと心霊写真鑑定で飯が食えませんからねえ。たまにはアタリを入れておかないと」
「アタリ?」
「当たりです。当選です」
「ああ、なるほど」
「あなたは本当にはそれを心霊写真とは認めてはおられないのではありませんか」
「さあ、心霊写真の定義は難しいのですよ」
「ほう」
「心霊写真は文化でしてな。それを心霊写真として認識したいと思う周辺の人がいるのですよ。しかし、怖い物見たさも加わりますがね」
「文化とはどういうことですかな」
「妖精や仏さんが写っている写真があります。仏像ならその年代が特定出来ます。残念ながらカメラは仏像を知りません。それでも写っているのですから、これは文化で写っているのですよ」
 妖怪博士は妖怪に近いものを感じた。
「いなかった人が写っている。これを関係のない人に見せても、何ともないでしょ」心霊写真家が説明を続ける。
「そうですねえ。しかし、どうして写っているのでしょうなあ。それは霊が写るように、そこに立っていたからですかな」
「光学的には無理です。直接フィルムや印画紙、デジカメなら受光素子やその映像エンジンに仕掛けてきたのでしょうなあ」
「やはり、それは心霊が成したことですねえ」
「そうでしょうなあ」
「怖いです」
「でも、それは撮影者と霊との関係で成立します。実際に書き込むのは霊ではなく、撮影者ご本人です」
「ほう」
「コンタクトでしょうねえ」
「そんなことがあるのですなあ。お聞きして良かったです」
「しかし博士」
「はい」
「そういう写真は怖くないのですよ」
「ほう」
「私が怖いと思う写真をお見せしましょうか」
「ああ、はい、お願いします」
 心霊写真家は金庫からアルバムを取り出した。
 妖怪博士はそれを見た瞬間、顔をのけぞらせた。
「どうです」
「何でしょうねえ、これは」
 妖怪博士はさらにページをめくる。
「これもだ」
「全部そうです」
「なぜこれが」
「そうなんです。本当に研究しなければいけないのは、こういう写真なのですよ」と、心霊写真家は言い切った。
 それらの写真には幽霊らしきものも、怖がるようなものは何も写っていなかった。
 しかし、見た瞬間、恐怖を感じる。
「何ですか、これは」
「妖怪博士」
「はい」
「あなたの専門とする物怪かもしれませんよ」
「私もそうではないかと」
 そこに写っているのは、何でもないような風景写真や、記念写真だった。
 
   了


 


2014年3月23日

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